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ヨネ:やあ、クマさん。漢字の成り立ちの本、検討してみた?
クマ:うん。本屋や図書館で色々見てみたけど、結局すすめてくれた『漢字の成立ち辞典』(加納喜光・著、東京堂出版)を
使ってるよ。
ヨネ:そう、それは嬉しいね。従来の一般的な漢字辞典のような部首分類などではなく、共通のイメージで分類されていて、
覚えやすいでしょう。
クマ:うん。覚えやすいと思う。今まで調べた中では「寺」の字のグループがおもしろかった。イメージが頭に入ったので、
例えば「峙」は漢検1級の字だけどすぐ覚えたし、忘れようにも忘れられないと思う。
ヨネ:「寺」の字ね。「寺」のグループには、主なもので10個の漢字がある。「寺」の字にまつわる話もおもしろいから、
じゃー後で触れようか。あと、古今字は調べてみた?
クマ:調べたよ。結構あるね。「幸」と「倖」、「原」と「源」、「無」と「舞」、前回に教わった「然」と「燃」、
それから「莫」と「暮」などだね。他にもいっぱいあるんだろうね。
ヨネ:「前」と「剪」、「寺」と「侍」もそうだよ。
クマ:そうなんだ。「前」と「剪」や、「寺」と「侍」は、原義がどういう意味で古今字なのか教えてよ。
ヨネ:分かった。でもそれは後で。まずは正岡子規に関する雑学川柳からいくよ。
クマ:えー。子規って正岡子規のことでしょう。病弱な人だったんだよね。不似合いな感じがするけど、
野球が好きだったの?
ヨネ:21歳か22歳で喀血して倒れるまでは、やってたらしい。当然好きだったんだろうね。
クマ:ところで、漢字は「野球」と書いているけど、「のぼーる」と読むのは何か意味があるのかな?
ヨネ:彼の幼名が「升(のぼる)」なので、それにちなんでらしい。今の「やきゅう」という読み方とは違うけど、
「野球」という文字を初めて使った人であり、野球界への貢献も大きく、野球殿堂入りしてるんだよ。
クマ:いやー。初耳だな。どんなことで貢献したんだい?
ヨネ:野球に関する句や歌を詠んだり、ベースボール用語を日本語に訳したりして野球の普及に貢献したんだ。
クマ:へぇー。どんな句や歌を詠んで、どんな訳語を作ったの?
ヨネ:句は「まり投げて見たき広場や春の草」、歌は「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」
などだね。子規による訳語はたくさんあって、しかもそのほとんどが現在も使用されているんだよ。大変な貢献だね。
クマ:ふーん。雅号を「野球」としたり、こういう句や歌を詠んだり、ベースボール用語を日本語に訳したり、
野球が好きだったんだね。思う存分野球をやらせてあげたかったね。ところで、その訳語を具体的に教えてよ。
ヨネ:よくぞ聞いてくれました。「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライ」「ファール」
「ショートストップ」などを、「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「邪」「短遮」と日本語に訳しているんだ。
「短遮」以外は現在も使用されているだろ。というより、これらを使用しないと野球に関する記事は書けないぐらい
浸透してるよね。記者の人達はこのことを知ってるのかな。もっとも、僕自身が知ったのも10年ぐらい前だから
大きなことは言えないけどね。ところで、これも「野球」という用語を誰が考えたんだろうと調べていくうちに
知ったことなんだ。漢字ウォッチングをすると、こういうおもしろい話を発見できるんだよ。
どう、クマさん。子規さんの違った面にびっくりした?
クマ:いやー、びっくりしたよ。野球殿堂入りするのも当然の、野球界の大功労者だね。
ヨネ:ちょっとだけ付け加えると、「野球(やきゅう)」という訳語を子規が直接作った訳ではなく、
ベースボールの好きな文学者が「野球(のぼーる)」という雅号を使用したということなんだ。
「野球(やきゅう)」という訳語は、明治草創時代の学生野球の育ての親といわれた中馬庚(ちゅうまん・かなえ)が
1894年に考案したもので、中馬庚も野球殿堂入りしているんだ。話はころっと変わるけど、
子規は雅号を百余り持っているらしいね。
クマ:またまた、びっくりさせる人だねえ、子規さんは。そんなにたくさんあったんじゃあ、
自分でも混乱しないかな。どんな雅号を使ったんだい。
ヨネ:本名は正岡常規(まさおか・つねのり)。つまり、「子規」も本名じゃなくて雅号なんだ。
1889(明治22)年に彼が喀血した時から使用し始めた。「子規」とは、ホトトギスのこと。喀血した自分を
「血を吐くまで鳴く」あるいは「鳴いて血を吐く」と言われるホトトギスにたとえたものなんだ。
クマ:いやはや、凄まじい雅号だね。そのほかの雅号を幾つか教えてよ。
ヨネ:うん。老桜・中水・香雲・走兎・風廉・漱石・常規凡夫・野球・弄球・能球などだね。
いくらでも雅号が浮かんでくるんだろうね。「野球(のぼーる)」もそのうちの一つだよ。
ところでこの雅号の中で何か気付かない?
クマ:漱石のことかな。また何か発見したな、ヨネさん。僕もヒントをくれたから分かったけど。
ヨネ:うん。夏目漱石は「漱石」の名を子規から譲り受けたんだ。このことを子規は『筆まかせ』という自分の作品で、
「漱石は今友人の仮名と変ぜり」と書いている。二人は非常に親しかったんだね。
夏目漱石が「漱石」の名を子規から譲り受けたことは、僕も今回初めて知った。
いやー、漢字ウォッチングは楽しいね。じゃあ、次に行こうか。
ヨネ:いやー、五・七・五におさめるのに一苦労だよ。ボキャブラリー不足と川柳のセンスのなさを痛感するよ。
クマ:そんなことないよ。ちゃんと意味が分かるから大丈夫だよ。
ヨネ:まー、僕の本当の目的は、漢字のおもしろさや漢字にまつわる雑学、エピソード、裏話を伝え、
漢字に興味を持ってもらうことで、川柳はそのための手段だと思ってるんだ。下手くそで「説明川柳」になっているのは
分かっているけど、お許し下さいね。川柳も上手くなりたいけどね。
クマ:ヨネさんが目指していることが僕には伝わっているから大丈夫だよ。
ヨネ:そうかい。じゃー古今字の話題に入ろうか。最初の川柳は前回も紹介したけど、「然」と「燃」みたいに、
原義(もともとの字義)が同じペア漢字のことを、古今字と呼ぶんだ。その古今字の例として、
今回は「前」と「剪」について説明するね。
「前」の字は「止(=あし)の変形+舟(=まえに進むことを暗示)+?(=かたな)」という構成で、
「一旦左右の足先をそろえて一歩ずつまえに進む」さまに「刀」を加え、「刀で切りそろえる」ことを意味した。
これが「前」という字の原義で、「まえ」というのはそこから派生した字義なんだ。だけど、「前」の字が
次第に「まえ」の意味としてのみ使われるようになって、「そろえる」という意味では使われなくなった。
そこで、「前」にさらに「刀」を加えて「剪」という字を作り、「前」の原義である「刀で切りそろえる」を
あらわすようになった。つまり、「前」の「刀で切りそろえる」という字義が、「剪」へと移ったわけだ。
このことを詠んだのが、さっきの川柳だよ。
クマ:なるほど。それと同時に、「揃(そろえる)」という字に「前」の字が含まれている理由も理解できたよ。
ヨネ:さすが。漢字を成り立ちで覚える成果が出てきたね。「前」という字は元々「そろえる」という意味を持っていて、
さっき見たように、その意味は「剪」に移ったんだけど、ほかの字の構成要素となっている場合には、
依然として「そろえる」という原義が残っているということだよ。その例がクマさんが気付いた「揃(そろえる)」や
「煎(いる=火力を平均にそろえて、鍋の上の物を一様に熱する)」なんだ。こういう例はたくさんある。
こういうのに気付くと、初めて見た字であってもその意味を類推できるようになるし、覚えるのも簡単になってくるよ。
こういうところに自分で気付くというのは、漢字力が上がっている証拠だよ。
クマ:いやーほめられちゃったな。嬉しいね。またほめられるように勉強するよ。
ヨネ:年をとっても、ほめられるとやる気が増すよね。僕もそうだよ。レベルが上がったら素直にほめさせてもらうよ。
ヨネ:じゃあ、「寺」と「侍(はべる)」の説明にいこうか。
「寺」の字は「之(=まっすぐ進む)の変形+寸(=手)」という構成で、「手足を動かして働く」さまを示し、
「寺人(てらびと=身分の高い人の身辺を世話する人)」を意味した。
これが「寺」という字の原義で、「仏寺(仏教寺院)」は派生した字義だけど、次第に「仏寺」の意味としてのみ
使われるようになった。そこで「寺」に「人」を加えて「侍」という字を新たに作り、「寺」の原義である
「てらびと」をあらわすようになった。さっきと同様に、「寺」の「てらびと」という字義が、「侍」に移ったんだね。
このことを詠んだのが、さっきの川柳だよ。
クマ:「寺」という字は、なぜ「仏寺」の意味としてのみ使われるようになったんだい。
ヨネ:ご指摘ありがとう。それは別途説明しなきゃいけないし、説明したいところだよ。
クマ:そうか。わざと省略したんだな。おもしろそう。大好きな雑学だな。
ヨネ:うん。その通り。「寺」の原義は「てらびと」。そこから転じて「手足を動かして雑用を行う役所」
という意味ももつようになった。さらに、漢代に西域から仏教が伝わり、僧侶を、はじめ鴻臚寺(こうろじ)という役所に
宿泊させた。僧侶達は、そこを拠点に布教活動を行った。以後、宿泊所に因んで僧の住む場所を「寺」と
呼ぶようになった。つまり、「寺」の字義は「てらびと」→「役所」→「仏寺」と転じたんだ。
クマ:なるほど。随分変化したもんだね。歴史も含んでいておもしろいね。だけど『漢字の成立ち辞典』では、
「寺」については「手足の動きをじっと止める」という意味もあったよね。そっちの意味はどうなったの?
ヨネ:鋭い指摘だなー。それについては漢字の成り立ちを詠んだ次の川柳の後に説明することにさせてもらうよ。
クマ:「寺」の成り立ちを詠んだんだね。字形は「之(まっすぐ進む)+寸(手)」だもんね。
ヨネ:そう。「寺」の字は「仏寺」の意味としてのみ使われるようになったけど、ほかの字の構成要素となっている場合には、
原義が生き残っているんだ。それで「寺」のグループの字には、「手足を動かす」「まっすぐ進む」それともう一つ、
クマさんご指摘の「じっと止まる」のイメージがある。「寺」のグループに属する主な漢字を、
この3つにグループ分けしてみようか。クマさん、やってみる?
クマ:うん。まず「手足を動かす」のグループは「侍」、「待」。「まっすぐ進む」のグループは「時」、「詩」。
「じっと止まる」のグループは「待」、「持」、「特」、「等」、「蒔」、「峙」、「痔」。
ヨネ:ピンポーン。正解だね。一つ一つの字義は省略するけど、全て手足の動きを暗示してるでしょ。
「峙」は「山」に「寺」で、「動かない」の2乗。このように成り立ちと併用して覚えていくと、
クマさんが最初に言ったように、漢検1級の漢字でもすぐ覚えられるし、忘れられないよ。
「痔」は、「動かずとどまる病気」ということだ。お悩みの人が多いかもしれないね。僕は幸いにして違うけど。
しかし、昔の人は一つの要素からこんなにたくさんの漢字をよく考えたね。その発想力と観察力に感心するよ。
おかげで僕は楽しめるね。クマさん、どう?
クマ:楽しんでるよ。どうやってこの字形にしようと決定したのか、見てみたいね。
ヨネ:ところで、またまたクイズです。「寺」のグループに属する主な漢字で気付いたことはありませんか?
クマ:気付いたこと? 何だろう……。
ヨネ:さっき挙げてもらった字の中に、2回出てきたものがなかった?
クマ:あ、わかった。「待」の字でしょう。「待」は「行(=おこない)の省略形+寺(=じっと止まる・手足を動かす)」で、
「まつ」と「もてなす」の意味がある。つまり、「じっと止まる」のグループと「手足を動かす」のグループの
両方に属しているんだ。具体的な熟語としては、「じっと止まる」グループなら「待機」、「期待」があるし、
「手足を動かす」グループなら「接待」、「待遇」などがある。
ヨネ:完璧だね。すばらしい。僕は、すぐ追いつかれ、抜かれちゃうな。
クマ:とんでもない。「寺」ばっかりに集中して調べてきたからだよ。
ヨネ:この調子で漢字の勉強をしましょう。その助けになるようにおもしろい話を紹介します。また聞いてよ。
・「熊本出身のクマモンではなくイナカモン」と、ご本人談。65歳。
・趣味は、漢字・スポーツ・将棋・麻雀等に関する雑学・裏話・エピソードの蒐集。
・「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり」(高杉晋作・野村望東尼)の精神で、世の中をおもしろがることをモットーとする。語源、成り立ち、由来に諸説がある場合は、「モットーに沿っておもしろいものを採用する」とのこと。
・多くの人に接し、また朝礼など人前で話すことも多かった会社員時代に、話の題材を求めて書店で漢字の成り立ちの本を手にしたところ、それがきっかけで漢字にのめり込むこととなった。
・以後、「楽しい上に職務上も役に立つ」ということで漢字が好きになり、漢字教育士の資格を取得。
・漢字教育士として、川崎市中原区の市民講座で3回、イトーヨーカ堂のヨークカルチャーで6回の漢字講座開催実績あり。