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【新井由有子さん】羊漫遊(2)

前回に引き続き、羊をめぐるお話を。
このコラムと未年のためにわたくし、ここ2ヶ月余り羊まみれの日々を送っているのですが、いや~調べれば調べるほど奥が深いです。


とざい東西羊たち

人類との付き合いの長くて深い分、羊にまつわる物語は世界各地にあります。聖書にもしばしば羊と羊飼いが登場しますし、牡羊座の由来となったギリシャ神話の黄金羊の伝説も有名です。
『旧約聖書』の中では、羊はエホバへの供物とされ、黄金羊も最後はゼウスに捧げられます。


神は弟アベルの捧げ物を喜び、兄カインの捧げ物を顧みなかった。このことが人類初の殺人事件を引き起こす。

継母に殺されかけた兄妹を、ゼウスが遣わした天翔る黄金羊が救い出す。……が、途中で妹を落っことす。

古代中国に目を転ずれば、「羊」を要素として持つ字に「義」があります。今では「義理」や「忠義」などの熟語で「正しいこと」の意味が強い「義」ですが、この字の本来の意味は今でいう「犠」、つまり神への生贄(いけにえ)を表しています。

前回取り上げた「美」は、生贄としての羊の見事さを称える字でした。「義」の下部は鋸(のこぎり)のような刃物の形で、これでもって犠牲の羊を切り、外見だけでなく肉や内臓も供物として完全であることを示して、そこから「義」の字義は「よい」「正しい」の意味へとつながったということでした。


洋の東西を問わず、羊は神への最良の捧げ物であったようです。
文献や成語から感じられる羊のイメージは、従順で優しく臆病で良い毛と皮を持ち美味しく、そして程よく愚か。
……なんて人間に都合の良い生き物なのでしょう。余りの犠牲っぷりに切なくなります。


「譱」の研究

そんな中、ちょっと違った羊の現れる字がありました。「善」です。
「善」の本来の字形は「譱」。羊の両側に「言」の字を置いて、字の意味は現代と同じく「よい、正しい」です。不思議な字だと思いませんか?

まず「言」という字は、白川文字学によると、神への誓願文を収める器である口(サイ)に入墨用の大きな針・辛を刺した形で、「もし誓約を違えれば入墨の刑罰をも辞さない」という強い誓いの言葉を表します。

その「言」を左右に置かれた真中の羊は「解?」(カイタイ)又は「?豸」(カイチ)と呼ばれる神聖な羊で、善悪を見分ける力があるとされていました。後漢時代の字書『説文解字』には解?について、

解?は獣なり。……古者(いにしへ)訟を決(さだ)むるとき、不直なるものに触れしむ。
(解?は獣である。……昔、裁判を定めるときに、正しくない者の方に触れさせた。)

とあります。
『常用字解』で「善」を調べると、こうあります。

譱は原告と被告とが解?の前で神判を受け、善否を決することを示す。譱(善)は解?を中心に、原告・被告の誓いの言葉を記した字で、裁判用語であったが、のち神の意志にかなうことを善といい、「よい、ただしい」の意味となる。

つまり「譱(善)」の字は、神の羊「解?」による古代の裁判・「羊神判」を表した字なのです。




解?を探して

「解?」または「?豸」(「豸」は「?」の略形又は横から見た形)がどのような獣であったのか、残念ながらよくわかっていません。後代の文献にも時折登場するようですが、そこに描かれる姿はもやもやと変幻するよう……。
以下は参考図書からの孫引きですが……

・後漢・王充『論衡』(27年~1世紀末頃)
「?豸というのは一角の羊で、罪人を見わける直観力をもっている。」(白川静「神の裁き」より引用)

・後漢・許慎『説文解字』(58年?~147年?)
「解?という獣である。山牛に似ていて、一角がある。」(白川静「神の裁き」より引用)

・三国(魏)・張揖『漢書』注(2~3世紀)
「鹿に似て、角が一つ」(張競『天翔るシンボルたち』より引用)

・六朝(晋)『神異経』(3世紀頃?)
「東北の荒(はて)に獣がいて、羊に似ている。一角で、毛は青く、足は四本。」(Wikipedia中国語繁体字版「?豸」の項より引用。清・陳元龍『格致鏡原』に引用されたものとのこと)

・唐・段成式『酉陽雑俎』(860年頃)
「開元二十一年(七三三)、富平県で、角が一本ある神羊がうまれた。肉角が、頂にあたり、白い毛が上にさかだっていた。論者は、?豸であるといった」(今村与志雄訳『酉陽雑俎』より引用)

牛、羊、鹿……? しかも、一角??


ちなみに、明の建国者である太祖・洪武帝(1328~1398)が祀られる南京の「明の孝陵」には、数々の彫像が居並びますが、その中には「?豸」も鎮座しています。この?豸、確かに「裁判獣」であり法を守護する「任法獣」であると伝わっているのですが……

明孝陵の「?豸」はこんな感じ。→

がっちりとした体、牙の覗く大きな口、正面を見据える大きな目、そして頭頂には角らしきもの……。
牛にも羊にも鹿にも見えません。それ以前に草食獣の顔じゃない。

幻の解?を尋ねて、もう1回だけ羊の話が続きます。


〔参考文献〕

白川静『字統』(平凡社)
白川静『常用字解』(平凡社)
白川静「神の裁き」(『桂東雑記』拾遺〔平凡社〕所収)
張競『天翔るシンボルたち 幻想動物の文化誌』(図説中国文化百華2、農文協)
フリー百科事典 Wikipedia


筆者紹介

新井 由有子(あらい・ゆうこ)さん

漢字教育士講座1期生。
2012年、受講中の漢字教育士講座レジュメ上で、甲骨・金文の「見」(図左)と目が合い一目惚れ。すっかり中国古代文字に魅入られて、字書游泳が趣味となる。
この度コラムの場を頂けてしめしめ、滾(たぎ)る文字妄想を書き連ねる所存です。
東京都在住、デラシネのOL。徳島県出身。


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