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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(6)

「雲」の系譜

「雲」の友達

「雲」は大気中に水滴が浮いているのが塊として見える現象です。
私は前回と前々回のコラムで「月」と「風」に関連した和歌を紹介してきました。その際、「雲」も一緒に詠まれていることが多かったので、「雲」「月」「風」が組み合わされた熟語もたくさんあるのではないかと、単純に考えてきました。ところが、改めて熟語、成句を調べてみると、「風雲児」「月に群雲」とか「花鳥風月」程度しか出てこないのです。そこで、どうやら「雲」「月」「風」は和歌の上でのお友達なのだろう、と考えるようになりました。
今回は「雲」を詠んだ和歌を考えるとともに、「月と風」と対になって詠まれている歌もみていきたいと思います。


中国の「雲」

「雲」の古代文字

まず、古代中国の「雲」を考えてみましょう。
古代の殷・周で用いられた甲骨文の「雲」の字形を(図1)に示します。白川静先生の『常用字解』では、その形は、「云(うん)は雲の流れる下に、竜の捲(ま)いている尾が少し現れている形で、『くも』をいう。云が雲のもとの字である」と説明されています。
次に、もう少し新しい時代に用いられた篆文の「雲」の字形を見てみましょう(図2)。現代の「雲」の字形にかなり近づいています。『常用字解』によると、もともとは「云」が「くも」を表す字であったところが、「のちに雨を加えて雲の字となり、云は『云(い)う』のように別の意味に使われるようになった」というのです。


(図1)「雲」の甲骨文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図2)「雲」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

このように、古代中国で「雲(云)」の字形ができた経緯から考えると、「雲」は「龍(竜)」ともお友達といえそうです。「雲」の字形となった「龍」の姿を私が描いてみましたので、ここに披露しておきます(図3、「雲の龍さん」と名付けました)。


(図3)著者描く「龍(雲の龍さん)」の姿



(※著者注)
雲と龍については、矢作詩子さんのコラム「詩子先生の漢字教室(4)」(2014年12月14日付)に、京菓子「雲龍」と関連して取り上げられています。併せてご覧ください。


日本の「雲」

立つ「雲」

では、古代の日本人の雲に対する認識はどうだったのでしょうか。彼らにとっても、雲は水滴が浮遊しているものであることはわかっていたでしょう。雲間に現れた「龍(竜)」から「立つ」という言葉が派生したとは思えませんが、「立つ雲」が多く和歌に詠われています。最も古い「立つ雲」の歌は、『古事記』における建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと=素戔嗚尊、すさのおのみこと)が詠んだとされる次の歌でしょう。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣作る その八重垣を
(雲が群がり起こる出雲の国の、何重にも垣を張りめぐらした宮殿。妻と住むために宮殿を作るのだ。その宮殿を)

「妻」とは、八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄(いけにえ)にされようとしていた「櫛稲田姫(くしいなだひめ・くしなだひめ)」です。そして「出雲」とは「雲が立つ(生まれる)場所」という意味です。
島根県松江市郊外に、素戔嗚尊と櫛稲田姫を祭る「八重垣神社」があります。境内の「鏡の池」では良縁を願い、水占いをする若い男女の姿が多く見られます。100円で「占い(だけど売ってもらえる)の紙」を買い、池に浮かべると紙にご神託が浮かび上がります。10円玉をその上に置きます。早く紙が沈めば伴侶が早く見つかるのです。霊験あらたかであることは漢字教育士が保障いたします。
一方、『万葉集』には、同集の中で最少の万葉仮名10文字で表記された、「発つ雲」を詠んだ次の歌があります。

春楊(はるやなぎ) 葛山(かづらきやまに) 発雲(たつくもの) 立座(たちてもゐても) 妹念(いもをしぞおもふ)(人麻呂歌集、巻11-2453)
(春楊が萌える葛城の山に立つ雲のように、私は立っていても座っていてもあの子のことが忘れられないよ)


さえぎる「雲」

また、「雲」は遮蔽物としても認識されておりました。
額田王は次のように詠いました。

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや(額田王、巻1-18)
(三輪山をそのように隠してしまうのか、(奈良の都はこれで見納めだと私は思っているのに)せめて雲だけでもその気持ちを思う心があってほしい。このように隠してよいものか、いや、よいはずがない)

近江大津京への遷都によって、奈良を去る時、いつも見慣れていた三輪山を奈良山から望んで、「さようなら」をしたのです。
また、春日蔵(かすがのくら)は、「(照明である)月を隠すな」と「雲」に懇願をしています。

照る月を 雲な隠しそ 島かげに わが船泊(は)てむ泊(とまり)知らずも(春日蔵、巻9-1719)
(夜空に照る月を、雲よ、どうか隠さないでくれ、島影の港に泊まろうとするこの船の航路が見えなくてわからないのだ)

このように、「雲」は、視線を遮って見たいものを見えなくする厄介な存在でもあったのです。


美しい「雲」

でも、全ての「雲」が厄介だったわけではありません。こんな美しい「雲」もあるのです。

わたつみの 豊旗雲(とよはたくも)に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ(巻1-15)
(海の上に豊かに輝く雲に夕日がさしてとても美しい。今夜もいい月夜だろう)

「豊旗雲」がどのような「雲」だったかは分かりませんが、夕陽に赤く染まった、あるいは黄金色に輝く神々しい風景だったのではと推察しています。
また、人麻呂歌集には次のような雄大な歌もあるのです。

天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(人麻呂歌集、巻6-1068)
(天上の海には、雲の波が立ち、月の船が星の林の中を漕ぎ入り隠れていくのが見える)

私は、この歌に出会った時、歌そのものがキラキラ輝いているように感じ、古の歌人の造語力のすばらしさに恐れ入りました。3Dグラフィックで宇宙空間を航行する宇宙船を作り上げるスピルバーグをもってしても、人麻呂にはかなわないでしょう。


百人一首の「雲」

ここまで、記紀万葉の時代の「雲」を見てきました。次に、百人一首から「雲」とその縁語が含まれる歌を見ていきましょう。
まず僧正遍照(そうじょうへんじょう)の次の歌です。

天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひぢ) 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ(僧正遍照、百人一首12番、古今集・雑上-872)
(天空を吹く風よ。天女が帰って行く雲の間の通路を(雲を吹き寄せて)閉ざしてくれ、彼女の美しい姿をしばし眺めていたいから)

僧侶が作ったとは思えない妖艶な歌です。遍照は、『古今集』仮名序で紀貫之に「ゑにかける女を見て、いたづらに心をうごかすがごとし(絵に描いた女性を見て、そぞろに心をときめかせているようである)」と評されています。
また、清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、次のように詠みました。

夏の夜は まだ宵(よひ)ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿(やど)るらむ(清原深養父、百人一首36番、古今集・夏-166)
(短い夏の夜は、まだ宵と思っていたのに明けてしまったが、(こんなに短いのでは)月も(西の山まで行き着けなくて)雲のどこかで泊まっていることだろう)

これは、「雲」が「月」を隠すというよりは、宿を貸しているという風情です。
ちなみに清原深養父は、清少納言の曽祖父でもあります。清少納言と言えば、同時代のライバル紫式部にも「雲」と「月」を詠んだ歌がありました。これは「月」の方が隠れる歌です。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな(紫式部、百人一首57番、新古今集・雑上-1499)
(久しぶりに会ったのに、昔見たあなたの姿だと分かるか分からないかという間に帰ってしまわれました。夜半の月が雲間に隠れるかのように)

こうして百人一首の歌を調べているうちに、このコラムでこれまで話題にしてきた「雲」「月」「風」の全てが詠み込まれた歌が百人一首にあるのを、私は見つけました。それは藤原顕輔(あきすけ)の以下の歌です。

秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ(左京大夫顕輔、百人一首79番、新古今集・秋-413)
(秋風に吹かれてたなびく雲の間から漏れてくる月影は何と明るいことだろう)

よく知っている百人一首なのに、どうして今までこの歌の存在に気が付かなかったのだろう、と今さらながらに思います。きっと言葉の一つ一つに注意して歌を見ていなかったからでしょうね。


物語の「雲」

先に『古事記』の「雲」を示しましたが、『新古今集』には、これは外せないという物語の「雲」が詠まれています。それは藤原定家の次の歌です。

春の夜の 夢のうき橋 とだえして 峯に分かるる 横雲の空(藤原定家、新古今集・春上-38)
(夢の浮橋のような、はかない春の夜の夢がふと途切れ、空を見ると、雲が山の峰を分かれるように流れていくよ)

『源氏物語』の最終帖の題名である「夢浮橋」という言葉を詠み込むことで、歌の世界が大きく広がります。そして「浮舟」の定まらぬ運命の行く末を象徴するかのような「横雲」の流れ、まさに定家の「有心(うしん)」を象徴する歌です。高校の古典の時間に初めて出会って、いっぺんに好きになった歌です。


(図4)赤富士の皿

江戸の「雲」

さて、皆さん。葛飾北斎の浮世絵、『富嶽(ふがく)三十六景』の「凱風(がいふう)快晴」はご存知でしょう。鋭角にそそり立った赤富士に目が行きますが、群青の空一面に描かれた「白い雲」も存在感があるのです。北斎の浮世絵画像をお見せするわけにはいきませんので、私の作品、赤富士の皿(図4)をお目にかけましょう。今から50年以上前、中学2年生の美術の時間に「赤冨士」をまねて作ったものです。直径16センチ、今も普段使いの皿として使い続けています。画題を付けるとすれば「半世紀赤冨士」でしょうか。もっとも「白雲」ではなく、ここでは「茜雲(あかねぐも)」ですが。


現代の「雲」

今日では「雲」を見るというと、空を眺めて実際に目で見るよりは、天気予報のTV画面や気象庁のホームページ上の動画で見ることの方が多くなりました。「今、雲の塊が近づいている。どうりで雨が降り始めたよ。」のように。確かに「雲の上」から見下ろしています。いわば、「龍」の眼で「雲」を見ているわけです。天気に関しては、人間は「雲上人」になったのです。
けれども、本来、「天気」という言葉は「観天望気(天を観て気を望む)」です。空を見上げ、「雲」の高さ、形、流れを読み、「風」の吹き回しを肌で感じて明日を予想するものでした。今は降水確率という奇妙な数字を鵜呑みにしているだけです。


最後に

江戸小噺に、「月と太陽と雷が一緒に旅をする話」があります。
旅籠(はたご)に泊まって、翌朝、雷が起きてくると、誰もいません。

(雷)「みんなどうしたんだい?」
(宿の主人)「お月さんとお日さまは、もうすでにお発ちです。」
(雷)「そうかい。月日のたつのは早いものだなぁ。」
(主人)「雷さまもすぐにお発ちになりますか?」
(雷)「いや、わしはゆっくりと夕立にする。」

と、ここまでは、ひょっとするとお聞きになったことがある方もいらっしゃることでしょう。
ところが、実は「雲の龍さん」も一緒だったのです。もうちょっと成り行きを見守ってみましょうか。

(雷)「ところで龍の奴、姿を見ないが、奴も発ったのかい?」
(主人)「雷さま。どうもこうもありゃしません。龍さん、宿賃も払わず、雲隠れですよ。どこをどう探したものか。ほんに雲をつかむような話でさぁ。」
(雷)「そりゃいけねえな。でもそのうちに分かるだろうよ。龍のことだ。雲に隠れても、きっと尻尾を出すにちげえねぇ。」


〔参考文献〕
武田祐吉(訳注)『古事記』(角川文庫)
白川静『常用字解』(平凡社)
中西進(校注)『万葉集(1)~(4)』(講談社文庫)
久曾神昇(訳注)『古今和歌集(1)~(4)』(講談社学術文庫)
吉原幸子『百人一首』(平凡社)
佐々木信綱(校訂)『新古今和歌集』(岩波文庫)


筆者紹介

丹羽 孝(にわ・たかし)さん

1950年大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。2013年、2014年と奈良県生駒郡斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業実施(町内の全小学校で実施済み)。また子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年からは公民館で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすくとの趣旨から「気楽に万葉集」講座も始めた。2014年10月の小学校での放課後教室を受講した5年生の児童から、「クラスのみんなにも漢字の話を聞かせてほしい」というオファーを受けて、11月に教室で「漢字の授業」を実施したところ、大好評。わずか45分間の授業で「漢字が好きになった」という子どもたちが続出。漢字教育士1期生。


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