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【新井由有子さん】羊漫遊(3)

?豸変相

え~、引き続きまして相も変わらず羊と解?(かいたい)・?豸(かいち)の話でございます。簡単に復習しておきますと、解?または?豸というのは古代中国の神聖な羊で善悪を見わける能力を持つとされ、「羊神判」と呼ばれる裁判に使われた聖なる獣だったのでした。

羊にも牛にも鹿にも似ておらず頭頂に一角を持つ?豸は、皇帝の陵墓の一角や孔子廟の門柱や、中国の大学法学部のシンボルマークやあるいは台湾の中華民国国軍憲兵の腕のワッペンにもその姿を現しています。また韓国では?豸を起源とするという「ヘチ」がソウル市のマスコットキャラクターになっています。(但し羊でも一角獣でもない丸くて黄色い子!)
日本でこそあまり馴染みのない?豸ですが、中国周辺では今もポピュラーな存在であり、また法学部や憲兵というところからわかるように現役の「裁判獣」でもあるようです。

ちなみに中国の広大な天地には古来、?豸の他にも数々の一角獣が「棲息」していたとの記録があります。日本でも飲料会社の顔を務めるなどしてよく知られる麒麟(キリン)をはじめ、古代中国の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、?(ジ)、駮(ハク)、トウトウ(「トウ」は「羊へんに東」)など頭に一角を持つ獣が登場します。……ハイ、『山海経』は怪獣妖怪満載のトンデモ地理書なのですがね。
一角獣は世界各地の古代文明にその姿を残しているそうです。何か、人類の憧れを映しているのでしょうか。




再び羊神判へ

羊神判に戻りましょう。
白川静先生は「神の裁き」の中で、前回このコラムでも取り上げた「善(譱)」という字、そして羊神判について次のように語っています。

善という字は、羊の下に二言を並べた形から成り立っている。二言は原告と被告とを意味する。すなわち争言の意味で、その是否を神羊を以て決するのである。私の想像では、神羊は各当事者が、その氏族神の前にこれを提供したもので、そしておそらく、最も古い形式では、両方の神羊を格闘させて、勝った神羊を供した方が勝訴者と判定されたのではないかと考える。神羊である羊(※引用者注:「?」か?)をもとにして刑殺廃除を原義とする?(※引用者注:「?」は、「法」のもとの字)と、慶祝の慶とが成り立っているのは、こう解するほかにはないからである。神羊が、原・被告どちらか一方の、不正不直のものに触れるという『説文』以来の解釈は、どうも一?二言から成り立っている善という字形によって、あとから加えられた説明のように思われる。

「?」の甲骨文字が作られた殷商の時代から、「牛に似て一角」と説明される『説文解字』の成立する漢代まで、ざっと千年余。皇帝陵の傍らに?豸像が鎮座するようになる明代まで、更に千年余。何かが生まれて消えて伝説となって、幻想の中に復活するには十分な時間でしょう。

??殷商の時代、解?(かいたい)と呼ばれるウシ科かシカ科あたりの獣が存在し神判の儀式に関わっていたが、その実像は漢代までには失われ既に伝説となっていた(「?」の甲骨文字は二角の獣ですし)。しかしそののちも「?豸」像は独り歩きを続け、空想上の瑞獣としての姿と地位を獲得していった。「裁判獣」という特異な性質は保持したままで……。
いえきっと、この性質があったからこそ「?豸」は残ったのでしょうね。いわゆる「キャラが立っている」というヤツです。
幾千年の時を経て、もはや神羊にも草食獣にも全然見えないけれど「?豸」は居る。姿(素材)が変わっても、名前と特性は伝えられた羊羹のように(※「羊羹」については、このコラムの「羊漫遊(1)」をご覧ください)。


幻の一角羊

トランスフォームしながら時空を翔(かけ)る羊の姿を妄想して感慨に浸っていたそんな折、次のような記載を見つけました。大内輝雄著『羊蹄記 人間と羊毛の歴史』第一章「羊のルーツ」より、インド・ヒマラヤ地域の牧羊に関する部分からの引用です。
インドに本格的な牧羊を持ち込んだのは、紀元前1500年ごろ以後に侵入してきたアーリア人だと考えられるようですが、インドがイギリスの植民地となるまでは、牧羊はあまり注目されなかったようです。しかし、20世紀初頭になって、インド各地で羊の品種改良の動きが盛んになったのだそうです。そしてインドのヒマラヤ地域に関して、次のように述べられています。

この地域では世界でも例を見ない「闘羊」が行なわれている。ライデッカーやライダーの著作に書かれていることだが、ヒマラヤには非常に好戦的な雄羊がいて、闘羊は人びとの大きな娯楽になっているという。(中略)この羊はバーワル(Barwal)タイプの一種と見られているが、詳細は定かではない。いずれにしても、従順で闘いを好まない羊のなかにも例外がいることは明白だ。地元では昔からこの羊の角をねじりあわせて一本角に成長させ、ユニコーン(一角獣)として売っていたそうだ。

一方、中国でも古く先史時代から羊が家畜とされていたようです。中国の牧羊に関する記載の中にも、次のように「バーワル種」が登場しています。

動物学者によれば中国の古代羊はチベット、モンゴル、カザクの三タイプに大別できる。(中略)チベットでは昔から羊を塩などの搬送に使ってきた。フニアやシリンガといった小型の羊だが、闘羊バーワル種(インドの項参照)もこのチベット・グループに含まれている。

一角の……闘羊……!? ワタクシの動揺をお察しください。
便利なことに今は、どんなことでもインターネットである程度の情報を得られます。
試しに検索ワード「闘羊」と入力すれば、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区やインドネシアで今も伝統行事として催される闘羊の様子を覗(のぞ)き見ることができます。また、“Barwal sheep”で検索をかければなんとなんと、二本の角を頭頂で合わせまっすぐに矯(た)められた、まるでユニコーンのような羊(ヤギ?)の画像がヒットします(これは近年見世物用に作られていたもののようです)。

一本角に成長させるというその習慣が、いつ頃始まったものなのかはわかりません。
紀元前一千余年の殷商時代はともかくとして、紀元後1世紀の漢代には、インドから中国へ最初の仏教伝来も確認されています。もしかしたら遙か昔、インド中国間を旅する人の間では、異形の神羊の伝説が語られていたのかもしれません。もしかしたら、ある時ヒマラヤの方から気の荒い一角の羊が連れてこられ、出会った人々は「おおこれぞまさに伝説の裁判獣」と……、なんて浪漫は尽きないのでございます。


おわりに

長々と羊の話をひっぱって参りましたが、おしまいに漢字の話をもうひとつ。

解?の「?」をパーツに持つ字として「薦」(セン/すすめる)があります。「推薦」という語でそれなりに使われるはずなのですが、私はこの字が苦手でした。覚えたつもりだったのにいつの間にか忘れている、何故かしら捉えきれない厄介な字として印象深いのです。
「薦」の金文はこちら。→


白川文字学によれば、
「薦とは草を藉(し)いてその上に牲獣の解?を載せ、それを神に供薦する意の字である。」(『字統』)
とのことで、解?を供物として神にすすめる、という意味が原義であるそうです。

どこまでも捧げられてしまうのですね……。


〔参考文献〕

白川静『字統』(平凡社)
白川静「神の裁き」(『桂東雑記』拾遺〔平凡社〕所収)
大内輝雄『羊蹄記 人間と羊毛の歴史』(平凡社)
張競『天翔るシンボルたち 幻想動物の文化誌』(図説中国文化百華2、農文協)
『山海経 中国古代の神話世界』(高馬三良・訳、平凡社ライブラリー)
フリー百科事典 Wikipedia


筆者紹介

新井 由有子(あらい・ゆうこ)さん

漢字教育士講座1期生。
2012年、受講中の漢字教育士講座レジュメ上で、甲骨・金文の「見」(図左)と目が合い一目惚れ。すっかり中国古代文字に魅入られて、字書游泳が趣味となる。
この度コラムの場を頂けてしめしめ、滾(たぎ)る文字妄想を書き連ねる所存です。
東京都在住、デラシネのOL。徳島県出身。


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