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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(7)

「星」の物語

「星」とは

2014年12月3日、「はやぶさ2」は、小惑星「1999 JU3」を目指して旅立ちました。6年間、50億キロの壮大な旅行です。……などと、宇宙の話をする時、「星」という言葉は「天体」を指して使われています。一方、「綺羅、星の如く」とか「中年の星」というように、実際に夜空に輝く天体としての星とは違う意味で、「星」という言葉が使われる場面も多いようです。
そして何よりも「星」を気にするのは、大相撲の世界ではないでしょうか。横綱にぶつかる平幕力士は「金星」を狙い、実力は「白星」「黒星」として「星取り表」にはっきりと表れます。「星」の数が全てという世界、盤石の地位を保っている横綱は、確かに地上の「星」なのです。
このように、いろいろな意味合いで使われている「星」について、今回は見ていくことにしましょう。


中国の「星」

・「星」の古代文字

最初に、いつものように中国古代文字を見ながら、古代中国の「星」を考えてみましょう。
「星」の甲骨文(図1)、金文(図2)、篆文(図3)を下に示します。繰り返しになりますが、「甲骨文」は漢字が生まれた殷・周時代の文字、「金文」はそれよりもやや新しい時代の青銅器に鋳込まれた文字、「篆文」は始皇帝で知られる秦の時代に広く用いられた文字です。


(図1)「星」の甲骨文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図2)「星」の金文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図3)「星」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

白川静先生の『常用字解』で「星」の項を見ると、「音符は生(せい)。古い字形には上部を晶に作るものがある。日はこの字の場合は、太陽の形ではなく星の形で、晶は多くの星の光が輝く形である。それで星は『ほし』の意味となる。」と説明されています。古代の字形を見ると、確かに「多くの星の光が輝く形」がうかがえます。
この解釈によると、「星」という字は、恒星のような単一の星を指すのではなく、たとえば天の川のような「夜空にきらめく光の集団」を指しているように思えます。
では、天の川を指し示す「星」とは、どのようなものでしょうか。


・天の川を指す「星」(中国の場合)

天の川を指し示す「星」の例は、杜甫の七言律詩「閣夜」に見えます。第4句の中にある「星河」は、「天の川」を表していると見てよいようです。

    閣夜   杜甫
  歳暮陰陽催短景   歳暮(さいぼ)陰陽 短景を催し
  天涯霜雪霽寒宵   天涯の霜雪 寒宵(かんせう)に霽(は)る
  五更鼓角聲悲壮   五更の鼓角(こかく)声悲壮(こゑ ひさう)
  三峡星河影動揺   三峡の星河(せいか)影動揺(かげ どうえう)
  野哭千家聞戦伐   野哭(やこく)千家(せんか)戦伐(せんばつ)を聞き
  夷歌幾処起漁樵   夷歌(いか)幾処(いくしょ)漁樵(ぎょせう)より起こる
  臥龍躍馬終黄土   臥龍 躍馬 終(つひ)に黄土(くわうど)
  人事音書漫寂寥   人事 音書(いんしょ)漫(まん)に寂寥(せきれう)

  (※引用者注)
  臥龍:三国時代・蜀の軍師、諸葛孔明の別称。
  躍馬:後漢時代の群雄の一人、公孫述の別称。

  (口語訳)
  歳の暮れになって、陰気と陽気の変化によって日は短くなり、
  遠い果てのこの地でも霜や雪が降り、夜は寒々と晴れわたっている。
  夜明け近く、太鼓や角笛の音は悲壮に響き、
  長江の景勝地、三峡の空に天の川が星影を揺らめかせている。
  野辺であちこちの家の人が死者を悼む声に絶えない戦を聞き、
  異民族の歌がそこここで漁師や木こりたちに交じって耳に届く。
  臥龍といわれた諸葛孔明も躍馬といわれた公孫述も、ついには黄泉の地の人となり、
  人の世の営みも友人の便りも、何もかもむなしく、ひたすらにさびしく感じられる。

もっとも三峡の地は「三峡ダム(2009年完成)」の建設ですっかり、当時とは景観が変わってしまっているようですね。今も「天の川」は、人工湖の湖面に揺らめいているのが見られるのでしょうか。


日本の「星」

一方、日本の和歌にもさまざまなイメージの「星」が現れています。項目を立てて見ていきましょう。


・天の川を指す「星」(日本の場合)

天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ(『万葉集』人麻呂歌集、巻6-1068)
(天上の海には、雲の波が立ち、月の船が星の林の中を漕ぎ入り隠れていくのが見える)

前回のこのコラム(「古代文字と和歌(6)」)で、「雲」関連の和歌として紹介した歌です。「星林」という言葉は、「天の川」と同義ですが、やはり先ほど見た古代文字の字義にかなった表現ではないでしょうか。また、「漕ぎ隠る」という表現にも壮大な夜空の広がりを感じます。


・比喩としての「星」

北山に たなびく雲の 青雲の 星離(ほしはな)れ行き 月を離(はな)れて(『万葉集』持統天皇、巻2-161)
(北山にたなびいている雲、その青い雲が、星たちから離れ、月からも離れて遠くへ去って行ってしまわれたことよ)

持統天皇が、夫の天武天皇を(死後8年たって)追悼して詠まれた歌です。天武天皇の霊魂が「たなびく雲」のように、黄泉の国へ行ってしまわれたという嘆きの歌です。では「星」や「月」は何を指すのか、という疑問がわきます。「月」は持統天皇をたとえたもの、「星」は天武天皇の周辺で「きらめく星」のように輝いた多くの関係ある人々をたとえたものと考えるべきでしょう。とはいえ、自分のことを「月」とはおそらく言わないでしょうから、持統天皇の御製とは伝えられていますが、代作でしょう。


・「通う星」

夕星(ゆふつづ)も 通ふ天道(あまぢ)を いつまでか 仰ぎて待たむ 月人壮士(つきひとをのこ)(『万葉集』人麻呂歌集、巻10-2010)
(宵の明星が通う天の道を、いつまで仰ぎ見て待てばいいのかな、お月様よ)

「夕星」とは宵の明星、つまり金星のことです。金星の天上の運行をじっと見ていたのですね。仰ぎ見ているのは彦星なのです。なぜ仰ぎ見ているだけなのか。彼、彦星は天道を、常日頃「通えない星」だからなのです。


・「通えぬ星」

天の川 楫(かぢ)の音聞こゆ 彦星と 織女(たなばたつめ)と 今夕(こよひ)逢ふらしも(『万葉集』巻10-2029)
(天の川に楫の音が聞こえる。彦星と織姫が今夜逢うらしいよ)

天の川のたくさんの星がまたたいている様子を、ざわめきのようにとらえたのでしょうか。あるいは、風に揺れる樹々の葉ずれを、彦星が漕ぎだす船の楫の音に聞きなしたのでしょうか。
一方、残念ながらお天気が悪く、天の川を見ることができない日には次のように詠います。

この夕(ゆふべ) 降りくる雨は 彦星の 早や漕ぐ舟の 櫂(かい)の散りかも(『万葉集』巻10-2052)
(今夕降る雨は、彦星が急いで漕いでいる舟の櫂のしずくなのであろうか)

年に一度の逢瀬ですからね。雨だったら「今年は逢えない」となるところを、地上の人々は、何としても逢わせてあげたかったのでしょうね。雨を櫂のしずくと見立てた粋なはからいです。
そして、そんな彦星に引き比べながら、自分の思いを歌に託す人も。

彦星に 恋ひはまさりぬ 天の川 隔つる関を 今は止(や)めてよ(『伊勢物語』第95段)
(私があなたを恋い慕う心はあの彦星に負けないくらいです。天の川のように二人を隔てる関所などはもうやめてください[直接お逢いしたいものです])

この男性は、同じ后にお仕えしている女性に思いを抱いたというのですから、さながらオフィスラブです。その女性に求愛を続け、なんとか「ものごし」に、つまり御簾か几帳のようなもの越しに会って話をしていたのですが、「直接逢いたい、障害を取り払ってほしい」と訴えたのが、この歌です。そしてなんと、その願いは通じたのです。
男じゃのう。


・「彦」とは

さて、歌に彦星が出てきたところで「彦」について考えてみましょう。
「彦」の篆文を(図4)に示します。
「彦」字については、『常用字解』の「姫」の項の中で言及されていますので、それを見ると、「一定の年齢に達した男子が額『厂(かん)』に美しい文身(ぶんしん[※引用者注、入れ墨のこと])……を描いて成人儀礼(今の成人式に当たる)を行うことを示す字で、成人に達した男子(ひこ)をいう。」と説明されています。
つまり「彦星」は「男の中の男の星」という意味なのです。道理で、「天の川」を自ら楫を漕いで渡って行ったわけだ。その男気のある行動を万葉人は高く評価したのでしょう。
これに対し、成人女子を表す言葉は「姫」です。「姫」の篆文を(図5)に示します。やはり『常用字解』によると、「姫」の字形は「女に乳房を加えて成人に達した女子をあらわす」ものであり、「古代では『ひめ』は『ひこ』に対して女性一般の意味であった」のです。
「牽牛と織女」は「彦星と織姫」とも呼ばれますから、七夕は男の代表たる「彦」と、女の代表たる「姫」の出逢いの場だったのですね。


(図4)「彦」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図5)「姫」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

・「星」の数ほど

閑話休題。もう一つ、「星」が登場する和歌を見ていきましょう。

あひ見まく 星は数なく ありながら 人に月なみ 迷ひこそすれ(『古今和歌集』紀有朋、雑体、巻19-1029)
(逢いたいと思う心は、星の数ほど無限にあるのに、思う人に近づく手がかりがないので、月のない闇夜のように思い迷っているよ)

「星」を「(まく)欲し」、「月」を「付き(=てがかり)」に掛けた技巧的な歌です。とても「つきなみ」な出来ではありませんね。ただ技巧が勝ちすぎて、『古今集』の編者によって「恋歌」ではなく「雑体」に分類されてしまったのです。紀有朋さん、『古今集』には2首しか採用されていないのに、ちょっと気の毒です。「付きがなかった」のでしょう。


現代の「星」

前回のこのコラム(「古代文字と和歌(6)」)で「雲」関連の和歌を紹介した時、気象衛星の映像を見る現代人について、「いわば、『龍』の眼で『雲』を見ているわけです。天気に関しては、人間は『雲上人』になったのです。」と書きました。
でも、現代人の星に対する見方は、雲とは少し違うようで、「綺羅、星の如く」輝く「星」は、地上の人々の間にあるように思えます。そして2014年、29年ぶりのペナントを狙って果たせなかったあのプロ野球球団は、オフシーズンにあちこちの光り輝く地上の「星」を取りに動いたのでしたが……、

あれもほし これもほしいが とりこぼし めぼしきスター あらまほしけれ

うーん、残念。


最後に

恒例の創作小噺を。
太陽と月と雷、そして星が、旅籠に泊まりました。雷が目覚めてみると、太陽と月はもういません。「月日はとっくにたっていた」のでした。その続きです。

(雷)「星ゃんよ。俺らはしっかり朝飯食ってから出ようぜ。俺もおめえも、夕立ちで困るこったねえ。
   それはそうと、朝飯は何だい。」
(星)「梅ボシと鯵の一夜ボシ、それにホシ大根の煮物がありやす。」
(雷)「そうかい。じゃあ、俺はへそで沸かした茶で茶漬けにするか。」
(星)「親方ぁ、茶漬けでは太鼓叩く力出ませんぜ。あっしなんぞ、ランチは三ツ星レストランで。」
(雷)「何言ってやんだい。駅前の喫茶『流れ星』で星型オムライスでも食らうんだろう。
   食後に蔭ボシコーヒーで、しめて『三ツ星』ってとこだ。」
(星)「へっへっへ、まったく図ボシで。」
(雷)「それはそうと、『流れ星』に行くんなら、帰りに駅へ寄って『ななつ星』のパンフレットをもらってきてくれよ。」
(星)「お安いご用で。でも、どうしておいらに頼むんで?」

星に願いを」ということでございます。お後がよろしいようで……。


〔参考文献〕
白川静『常用字解』(平凡社)
前野直彬(注解)『唐詩選(上、中、下)』(岩波文庫)
中西進(校注)『万葉集(1)~(4)』(講談社文庫)
森野宗明(校注)『伊勢物語』(講談社文庫)
久曾神昇(訳注)『古今和歌集(1)~(4)』(講談社学術文庫)
佐々木信綱(校訂)『新古今和歌集』(岩波文庫)


筆者紹介

丹羽 孝(にわ・たかし)さん

1950年大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。2013年、2014年と奈良県生駒郡斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業実施(町内の全小学校で実施済み)。また子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年からは公民館で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすくとの趣旨から「気楽に万葉集」講座も始めた。2014年10月の小学校での放課後教室を受講した5年生の児童から、「クラスのみんなにも漢字の話を聞かせてほしい」というオファーを受けて、11月に教室で「漢字の授業」を実施したところ、大好評。わずか45分間の授業で「漢字が好きになった」という子どもたちが続出。漢字教育士1期生。


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