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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(11)

「雪」はどこから

「雪」とは

今回は日本文化を読み解く鍵の一つ「雪」をみていきます。
自然現象としての雪は、大気中の水蒸気から生成される氷の結晶、つまり微小な氷です。古代から地形の関係で都がそんなに雪が降り積む地域になかった日本人は雪に埋もれた景色をあまり歌に詠んではいません。むしろ雪に憧れを抱き、少しの雪でも大雪と表現し大騒ぎをしています。今回は和歌に詠まれた日本人の雪への思いを探っていきましょう。


中国の「雪」

・「雪」の古代文字

最初に、古代文字の「雪」をみましょう。「雪」の甲骨文を(図1)に示します。その字義は、「象形。空から雪片が舞い落ちる形。甲骨文字によると、その雪片は羽の形のようにもみえ、、、」と説明されています(『常用字解』)。
また「雪」の篆文を(図2)に示しますが、その字義は「形声。もと、雨+彗。彗スイ→セツは、『はききよめる』。雨で洗い清める、『そそぐ』の意味を表す。また毳セイ→セツに通じ、『ほそくこまかい』。細かく軽い『ゆき』の意味を表す。」(『現代漢和辞典』)と説明されています。


(図1)「雪」の甲骨文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図2)「雪」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

なるほど雨の箒(ほうき)ですか。どうりで「溶けて箒で掃いたら、みな同じ」。しかし、そう解釈したら、「雪」という字は「彗」という「音符」にも意味がある。すなわち「音符」が「意符」を兼ねている「亦声(えきせい)」の文字ではないか、などと漢字教育士は漢字教育講座での学習成果を踏まえて考えてしまうのです。そういえば、1986年にハレー彗星が地球に接近した時、その核は「汚れた雪玉のようであり、太陽の熱で溶けてガスとなって箒のように長く尾を引いている」との表現がなされていたことも思い出しました。次にハレー彗星に会えるのは2061年の夏です。「あなた、本気でハレー彗星に会おうと思っているの」と言われそうですが、星のきらめきを眺めているとこんな気持ちにもなるのです。


「ハレーた空 憧れの星 巡りきて 逢はでこの世を 過ぐしてよとや」        漢字教育士

改めて(図2)の「雪」の篆文を眺めてみると、「雪の核」と右下に斜めに伸びた「尾」を持つ彗星の構造を示しているように見えてくるではありませんか。「箒星(ほうきぼし)が大きな雪玉」であることを2000年前の篆文が暗示していたことに感動すら覚えてくるのです。
それはともかく、私たちが最初に古典の中で雪を意識したのは枕草子の次の文章でしょう。


・香炉峰の「雪」

「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。

第280段「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて」の有名な一節です。「私、定子さまの出された問題に即座に答えられましたのよ。」清少納言の博学自慢です。彼女は清原深養父・元輔・清少納言と、百人一首に和歌が採られている家系の才媛です。和歌だけでなく漢詩も手の内に入れていたのでしょう。まるで先生の質問に一人だけ答えて、褒められた小学生のような、「手の舞い、足の踏む所も知らず」欣喜雀躍ぶりがみて取れます。この一節の「香炉峰の雪」の出典は、中唐の詩人、白居易(772-846)の次の七言律詩です。

香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁  其三       白居易
日高睡足猶慵起    日高く睡(ねむ)り足りて猶ほ起くるに慵(ものう)し
小閤重衾不怕寒    小閣(しょうかく)に衾(しとね)を重ねて寒きを怕(おそ)れず
遺愛寺鐘欹枕聴    遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き
香炉峰雪撥簾看    香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看(み)る
匡廬便是逃名地    匡廬(きょうろ)は便(すなは)ち是れ名を逃(のが)るるの地
司馬仍為送老官    司馬は仍(な)ほ老いを送るの官為(た)り
心泰身寧是帰処    心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰するの処(ところ)
故郷何独在長安    故郷何ぞ独り長安にのみ在らんや

(口語訳)
香炉峰下 新たに山居を卜し草堂初めて成り たまたま東壁に題す その三     白居易
もう日はすっかり高く、十分に眠ったというのに、なお起きるのがたいそうだ。
小さな部屋で布団を重ねて寝ているので寒さの心配はない。
遺愛寺の鐘は枕から頭を上げて聴き入り、
香炉峰の雪は簾を引き上げて眺める。
ここ廬山は名利や名誉を求めず引きこもるには、ちょうどいい。
司馬という役職も、老後の隠居生活のためにはうってつけだ。
心が落ち着き、体も安らかなら、それこそ帰るべき場所なのだ。
故郷は何も長安だけというわけではない。

でも「香炉峰の雪」という言葉は出てきますが、白居易は景色の雄大さを詠っているのではなく、香炉峰を草庵から眺める自らの隠遁生活の好ましさを詠っているのです。
一方、日本で雪山の美しさを詠ったといえば、山部赤人が富士山を詠んだ万葉集の長歌と反歌でしょう。


日本の「雪」

・富士の山

天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は(山部赤人、巻3-317)

田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける(山部赤人、巻3-318)

こちらは雪をかぶった富士山の光景を直截的に詠っています。赤人が富士山を望んだ場所は、歌川広重の東海道五十三次(由比・薩?嶺)で有名な静岡県静岡市清水区の薩?峠(さったとうげ)と考えられています。薩?峠からは今も版画と同じ構図で、冬の時期には雪を頂いた富士山を眺めることができます。
さて、万葉集には多くの雪を詠んだ歌があります。何よりも万葉集最後の歌が雪の歌なのです。


・最後の万葉歌

新(あらた)しき 年の初(はじめ)の 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)(大伴家持、巻20-4516)

「新しき」は「あらたしき」と読みます。家持は天平宝字3年正月1日(759年)「因幡国の国庁」(鳥取県鳥取市国府町)でこの歌を詠んだのです。「新春を迎えた今日、降り続く雪のように、いいことがどんどん降り積む年となりますように」との祈りを込めたのです。しかし歌とは裏腹に、不幸ばかりが降りかかり、名門貴族大伴家は没落の一途をたどっていきました。家持はこの歌を歌った後も26年間生きたのですが、この歌を最後に彼の歌は伝わっていません。彼自身も死後、藤原種継暗殺事件に連座して貴族の地位を剥奪され、名誉が回復されたのは延暦25年(806)、平安時代になってからでした。
さて、時代をもう少しさかのぼってみましょう。天武天皇の御代、朱鳥元年(686年)の話です。天皇は宿下がりをしていた自分の奥さんのひとり、藤原夫人(ふじわらぶにん)に対して次の歌を送ったのです。


・飛鳥の大雪

我が里に 大雪降れり 大原の 古(ふ)りにし里に 降らまくは後(のち)(天武天皇、巻2-103)
(私の居る飛鳥の里には大雪が降ったよ。お前さんがいる大原の古びた里に降るのはもっとあとだろうね。)

すると、こんな歌が返ってきたのです。

我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ(藤原夫人、巻2-104)
(何をおっしゃるのでしょうか。私の里の龍神に言いつけて降らせた雪のかけらがそちらにちらついただけでしょうに)

ちょっとからかったつもりが、手痛いしっぺ返しを食らった形です。その大原の里と天皇の居られた飛鳥浄御原宮は、1kmも離れていないのです。また大雪と詠っていますがほんの少し冠雪しただけでしょう。今も飛鳥が大雪で埋もれることはありません。雪国の方から見れば、何でそんなに大騒ぎをするのというくらいの雪です。ただ、降ってうれしい雪ばかりではありませんね。万葉集にはこんな歌もあるのです。


・雪よ降るな

降る雪は あはにな降りそ 吉隠(よなばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒からまくに(穂積皇子、巻2-203)
(降る雪は多く積もるな。吉隠の猪養の岡に眠っている皇女が寒いだろうから)

吉隠は今の奈良県桜井市、作者は天武天皇の第5皇子の穂積皇子(ほづみのみこ)です。天武天皇の第1皇子、高市皇子(たけちのみこ)の宮にいた但馬皇女(たじまのひめみこ)と恋仲だったと言われています。不倫ですね。その但馬皇女は、こんな歌を残しています。

人言(ひとごと)を 繁み言痛(こちた)み おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る(但馬皇女、巻2-116)
(人のうわさが多く立ってうるさいので、それならと意を決し、生まれて初めて夜明けの川を渡ります)

彼女、朝帰りもいとわぬ肉食系女子だったのです。歌からは覚悟が伝ってきますよね。「世間がどう言おうと私が好きなのはあなたです。」それに対して草食系男子であった穂積皇子は「腰が引けています。」亡くなってしまった彼女の墓に「雪よ。たくさんは降るな」と詠うだけです。「彼女の覚悟に応えるのが男だろうが。この根性なしめが、、、」。これは漢字教育士の見解です。
富士の高嶺に降る雪も、飛鳥大原に降る雪も、雪に変わりはないし、溶けて流れると皆同じなのだけれど、立場が違うと、万葉人の雪に対する感じ方もがらっと変わってくるのです。
そして時代が下ると雪に対する感慨はまた変わってきます。百人一首を見てみましょう。


・百人一首の雪

田子の浦に うち出でてみれば 白たへの 富士の高嶺に 雪は降りつつ(山部赤人、 4番、新古今集、冬・巻6-675)

君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇、15番 古今集、春上・巻1-21)

朝ぼらけ 有明の月と みるまでに 吉野の里に 降れる白雪(坂上是則、31番 古今集、冬・巻6-332)

百人一首の中で雪が詠まれている歌は上記の3首です。(図3)は漢字教育士による百人一首の分析結果です。百人一首に日本文化のキーワードとなる漢字が何首に含まれているかを調べ、多い順に並べてグラフにしてみたのです。「花鳥風月」の後に「雪」がくるのです。そして「冬」はゼロです。圧倒的に多いのが「恋」の40首です。「恋」がトップになることは想定の範囲内ですが、百人一首は、「雪」や「冬」にとても冷たいことが分かります。もっとも雪はもともと冷たいものですが、、、


図3 百人一首の分析



日本文学の本質は季節感と恋です。そのことが裏付けられた結果だと思います。しかし、季節感とはいうものの、その中心は「春、秋」であり、少なくとも「雪」や「冬」は置き去りにされていると感じます。もちろん百人一首という藤原定家の美意識の世界の中でのことであると断っておきます。


・天からの手紙

さて、世界で初めて人工的に雪の結晶を作った北海道大学の中谷宇吉郎博士(1900-1962)は「雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。」という言葉を残しています。ここで思い起こされるのが、(図1)の「雪」の甲骨文字です。常用字解では「その雪片は羽の形のようにもみえ」と説明されていますが、見ようによっては「雪の結晶の枝の一本、天から舞い降りつつある手紙(あるいは、はがきでしょうか)の文字」のようにも見えるではありませんか。20世紀の物理学者が自身の研究に基づいて発したメッセージが、奇しくも3300年前の中国の漢字と共鳴しているように漢字教育士には思えるのです。百人一首を分析して「定家は『雪』に冷たい」と断じた漢字教育士も「天からの手紙」にはほのぼのとしたものを感じるのです。


最後に

以上、雪を詠んだ歌や関連する事項を考察してきました。「大気中の水蒸気から生成される氷の結晶、つまり微小な氷」に人はさまざまな思いを持っています。神々しい雪、うれしい雪、疎ましい雪、冷たい雪など、私たちの御先祖様は自らの感慨を雪に投影させて詠いました。
しかし、逆にそれらの感慨は、(雪の結晶の形及び模様という暗号で)「天からの手紙に書かれ、地上の私たちの心の中にもたらされたものである」と考えることはできないでしょうか。懐かしい友からの手紙、故郷からの宅配便などのように、雪は地上の人に届けられる天からのダイレクトメールかもしれないのです。
最近の彗星や小惑星の研究の成果によると、地球上の資源や生命の起源さえも、宇宙から地球へもたらされたもの、「天からの手紙」である可能性さえあるということです。まさに雪、畏るべし。雪、侮ることなかれです。
今回、「雪」の古代文字と和歌を考えてきて、大きく宇宙にまで発想が広がりました。何気なく眺めておられたでしょうが、これから雪を見る時、この話を思い出して頂ければ嬉しいです。

天から届いた クールな便り 開けて心は あったかい      漢字教育士


〔参考文献〕
二宮洸三 林宏典 『お天気ハンドブック』(池田書店)
白川静 『字通』(平凡社)
木村秀次 黒澤弘光 編 『現代漢和辞典』(大修館書店)
松尾聰 永井和子(校注) 『枕草子』新編日本古典文学全集18(小学館)
宇野直人 江原正士 『漢詩を読む3白居易から蘇東坡へ』(平凡社)
吉原幸子 『百人一首』(平凡社)
中西進(校注) 『万葉集(1)~(4)』(講談社文庫)
中谷宇吉郎 『雪』(岩波文庫)


筆者紹介

丹羽 孝(にわ・たかし)さん

1950年大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。漢字教育士1期生。
2013年、2014年と奈良県生駒郡斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業実施(町内の全小学校で実施済み)。また子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年4月から1年間公民館で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすくとの趣旨から月1回「気楽に万葉集」講座を実施。2015年度も継続中。
2014年10月の放課後教室を受講した5年生の児童から「クラスのみんなにも漢字の話を聞かせてほしい」というオファーを受けて、同年11月小学校の国語の時間に「漢字の授業」を実施したところ、大好評。わずか45分間の授業で「漢字が好きになった」という子どもたちが続出した。


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