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【米村元治さん】川柳で漢字を楽しもう(2)

川柳で歴史上の人物にまつわる漢字を楽しもう(その2)

ヨネ:やあ、クマさん、一ヶ月ぶりだね。元気かい?

クマ:ああ、ヨネさん、元気だよ。そっちも元気そうだね。先月はありがとうね。またおもしろい話を聞かせてくれよ。

ヨネ:おもしろいかどうかは分からないけど、聞いてくれるなら喜んで話させてもらうよ。
   前回は中国の話だったけど、今回は日本の話をしようか。

クマ:おー、いいねぇ。聞かせてくれよ。

ヨネ:まずは、水戸黄門こと徳川光圀(とくがわ・みつくに)公の話だけど、川柳にしてみるよ。


■字が示す 光圀公の 開明さ (じがしめす みつくにこうの かいめいさ)

ヨネ:光圀公の「圀(くに)」という字は、「則天文字」といって、
   中国史上唯一の女帝として知られる則天武后が作った字の一つなんだ。

クマ:わざわざ字を作ったからには、それなりの理由があったんだろうね。
   どういう理由なんだい?

ヨネ:それまで「くに」の意味で使ってきた字は、「國(くに)」という字だ。
   これは、「惑(まどう)」という字の一部を含んでいるし、また「さかいを限る」という限定的な意味も持っている。
   則天武后はそこに、「八方へ広がる」という意味を含ませようとして、囗(くにがまえ)の中を「八方」としたんだ。
   「八方へ広がる」なんて、国が発展するような気がしないかい。

クマ:うーん。言われてみれば、その方が国が発展して栄えるような気がするね。

ヨネ:それと、言いたいことがもう一つ。光圀公は、かつては「光國」を名乗っていたんだけど、
   「圀」の字を知って、自らの名前を光圀に改めたんだ。
   光圀公が、聡明で進歩的な、つまり開明的な人だったということがうかがえるだろう?

クマ:なるほど、確かに。海外の事情を知らなきゃ、「圀」なんて字を知る機会もないものね。
   光圀公が活躍していたのは鎖国していた江戸時代だから、
   海外の事情に関心を持っていた人は、たとえ藩主であっても少なかっただろうね。
   ところで、光圀公が開明的な人だったというエピソード、何か聞かせてくれないか。

ヨネ:うん。光圀公は、水戸藩主に就任する前に、彰考館という歴史書編纂局を設けたんだ。
   その成果として出来上がったのが、『大日本史』という全397巻にもなる壮大な歴史書だ。
   そして『大日本史』の編纂に伴って、朱子学を中心としつつ、国学や神道をも総合する幅の広い学風が形成された。
   これが「水戸学」と呼ばれる学問で、のちに幕末の志士たちにもとても大きな影響を与えたんだ。

クマ:へーえ、光圀公はすごい人だねえ。

ヨネ:それだけじゃないよ。
   光圀公は、父親が亡くなったことによって水戸藩主の位を継ぐと、
   光圀公の父親への忠義を示すために殉死しようとした家臣を引き止めて、殉死禁止令を出したらしい。
   家臣の殉死は、当時武家社会では広く行われていたらしいんだけど、
   光圀公は、なんと江戸幕府が殉死禁止令を出す2年も前に、水戸藩で殉死を禁止したというんだ。

クマ:幕府よりも先に! まさに開明的だね。

ヨネ:そうさ。話はまだまだあるよ。
   藩主となった光圀公は、藩内のさまざまな改革を行う一方で、中国から儒学者の朱舜水を招いて、
   安積澹泊(あさか・たんぱく)をはじめ、たくさんの学者を育てたんだ。
   安積澹泊は、テレビドラマで光圀公のお付きの人となっている「格さん」のモデルだといわれているね。
   そのほかにも、日本で最初にラーメンらしきものを食べたといわれているし、
   餃子、チーズ、黒豆納豆等を食べたり、メリヤス足袋をはいたりしている。
   学究タイプであり、好奇心も強かったんだね。

クマ:へぇー。光圀公はおもしろい人だね。

ヨネ:ちなみに朱舜水は、中国では明に仕えていて、明が満洲族の清朝に滅ぼされたために日本に亡命してきた、
   という経歴をもつ人だ。当時の中国では、「経世致用の学」とよばれる実用的な学問がトレンドだったから、
   朱舜水も農業や造園などを指導したほか、先ほど触れたラーメンらしきものを持ち込んだりもしたんだ。
   そしてもちろん、水戸学にも大きな思想的な影響を与えたわけだ。
   これは推測だけど、光圀公は朱舜水から、「圀」の字を教わったんじゃないかな。

クマ:なるほど、それはあり得るね。それにしてもヨネさん、光圀公についてずいぶん詳しく
   教えてくれたけど、それもこれも、「圀」の一字から興味を持って調べたんだろう?
   光圀公って、本当に調べ甲斐がある魅力的な人なんだね。
   それに、「圀」の字だって、漢字の成り立ちから見てもおもしろいね。

ヨネ:そう言ってもらえると嬉しいなあ。じゃあ、調子に乗って次に行くよ。
   次は井原西鶴の話を聞いてよ。川柳からいくよ。


■西鶴が 鶴字法度で 西鵬に(さいかくが つるのじはっとで さいほうに)

クマ:井原西鶴っていうと、江戸時代の上方の文学者だっけ?

ヨネ:そうそう。それから?

クマ:それ以上は知らない(笑)。だからこれから教えてもらおうってわけ。

ヨネ:井原西鶴といって教科書に出てくるのは、『好色一代男』をはじめとする一連の好色物じゃないかな。
   そのほかにも、『日本永代蔵』『世間胸算用』などの町人物で都市生活の様子をいきいきと描いたり、
   『武家義理物語』などの武家物で武士の生活ぶりをありのままに描いたりしている。
   もともとは俳諧師として名をあげていて、一昼夜の間に発句をつくる数を競う「矢数(やかず)俳諧」の
   第一人者とされていた。そのため、西鶴の文章には独特のリズム感があるね。

クマ:ふーん、そうなのか。
   そういえば関西出身の友人が、大阪には西鶴ゆかりの神社があるって言ってたなあ。

ヨネ:ああ、生國魂(いくくにたま)神社だね。
   地元では「いくたまさん」の名で親しまれていて、上方落語の発祥の地ともされる神社だ。
   境内には西鶴の銅像があるよ。

クマ:で、その西鶴とさっきの川柳は、どう関係するんだい?

ヨネ:おっと、そうだったね。ここで注目なのは、「鶴字法度(つるのじはっと)」だ。
   徳川幕府の第5代将軍、綱吉は、長女の鶴姫を溺愛するあまり、1688年(元禄元年)、
   庶民が鶴の字や鶴の紋を使用することを禁じた。これが「鶴字法度」とよばれている。

クマ:娘がかわいいからって、そこまでやるんだ。

ヨネ:そうだね。
   この「鶴字法度」のために、井原西鶴は、雅号を一時的に「西鵬」に改めたんだ。
   ほかにも、京菓子の老舗・鶴屋が屋号を駿河屋に改めたり、
   「丸に舞鶴」の紋を使っていた歌舞伎の中村座が「角切銀杏(すみきりいちょう)」の紋に改めたりしたそうだ。
   鶴屋や中村座の例は、単に処罰されるのを避けようとしているだけ、という印象があるけれど、
   西鶴の場合は、「下らないことをするんじゃないよ」と暗に批判しているようにも感じるね。どう思う?

クマ:俺には分からないけど、なぜそう感じるんだい。

ヨネ:このころの西鶴は、『好色一代男』が大好評で何度も増刷されるなど、押しも押されもせぬ大人気作家だった。
   上方だけにとどまらず、江戸でも名声がとどろいていたはずだ。
   だから、きっと知識が豊富で、批判精神も旺盛であったと思う。
   「鶴」の字を「鵬」に変えたわけだけど、「鵬」という鳥は中国の想像上の鳥で、
   「翼長三千里、一飛び九万里」の大鳥なんだ。
   だから西鶴は、
   「下らない。『鶴』なんてくれてやるよ、俺はもっとスケールの大きい『鵬』を使うから」
   と言っているように感じるんだけど。どうかな?

クマ:西鶴はおもしろそうな人だし、それもあり得るね。
   それに、綱吉さんもよくやるね。「生類憐みの令」よりは罪がないかもしれないけど。

ヨネ:でもまあ、綱吉さんについては、動物愛護に貢献したとも言えるし、
   そのほかの政策も含めて、「名君ではないが暗君でもない」という評価もあるそうだよ。

クマ:へぇー。評価も色々だね。おもしろいね。

ヨネ:「へぇー」が出たところで、次いくよ。
   次は伊達綱村公の話を聞いてくれる? 川柳からいくよ。


■ゆりあげを 綱村公が 閖上に(ゆりあげを つなむらこうが ゆりあげに)

クマ:綱村公っていう人は、知らないなあ。どういう人で、どういうことをやった人?

ヨネ:伊達綱村公は、仙台藩の第4代藩主だ。
   仙台藩中興の名君と讃えられている人で、家督相続をめぐって伊達家がごたつく中、
   藩主として領内の開発を進めて経済安定を図ったんだ。
   その一方で、多数の学者を招いて学問を奨励し、自らも儒学を学んで、藩史の編纂にも尽力した。
   さらに、仏教や神道も学び、寺院の建立、神社の造営にも尽力した。
   日光東照宮の修復事業にも参画しているね。

クマ:へぇー。伊達というと政宗しか頭に浮かばないんだけど、そんな名君がいたんだ。

ヨネ:綱村は、政宗の曾孫に当たるんだよ。
   その綱村公は、江戸時代初期に中国から入ってきた禅宗の一派、黄檗宗(おうばくしゅう)に帰依していたんだ。
   それで、今の仙台市太白区の山の上に、大年寺という黄檗宗の寺院を開いた。
   伊達氏の菩提寺となった、重要な寺だ。
   その大年寺に綱村公が参詣した際に、山門内から波立つ浜を見て、
   近侍の者に「あれは何というところか」と尋ねたらしい。
   すると、「『ゆりあげ浜』であります」と近侍の者が答えたので、綱村公は「文字はどう書くのか」と問うた。
   「文字はありませぬ」と答えると、綱村公は、
   「門の内から水が見えた故に、今後は『門』の中に『水』を書いて『閖上』と呼ぶように」と言ったんだとか。
   今の名取市閖上(ゆりあげ)地区の地名に使われている「閖」という国字は、こうしてできたそうだよ。
   国字、つまり日本で作られた漢字は、ほかにもたくさんあるけれど、
   制作者が明確に分かるのはこの字くらいじゃないかな。
   ちなみに、「ゆりあげ浜」という地名の由来は、この浜に観音様がゆりあげられていたことによるらしいよ。

クマ:へぇー。「ゆりあげ」にたまたま漢字表記がなかったから「閖上」になった、ってことか。
   だけど、もし「揺上」とかの漢字表記がされていたら、どうなっていたんだろうね。
   綱村公は「そうか」と言うだけで済んだのか、
   それともやはり「『閖上』に変えろ」と言っていたのか、興味があるね。
   ところで、閖上地区は東日本大震災で大変な災害を受けたんだよね。

ヨネ:そうなんだよ。
   名取市の記録によると、2014年8月に判明しているだけで、
   閖上地区では約750人もの人が亡くなったんだそうだ。
   公共施設や交通、ライフラインが壊滅的な被害を受けたし、家屋も甚大な被害をこうむったんだね。
   名取市が閖上地区で住民の方々を対象に行った意向調査では、
   「閖上地区に戻りたい」と答えた人は25%にとどまったらしい。
   生まれ育った土地、住み慣れた土地から切り離されてしまうことのつらさは、はかり知れないものだろうね。
   地震、津波に万全な対策をとるという前提で、元の土地に帰れるようになるといいよね。
   綱村公もそう願っていると思うよ。

クマ:俺も心からそう思うよ。

ヨネ:漢字の話に戻そう。
   クマさんが何度も「へぇー」と言ってくれたように、
   文字の成り立ちやそれに纏わるエピソードに興味を持ってもらえれば、
   漢字は忘れないし、「漢字っておもしろいなー」と漢字全体に興味を持ってもらえると思うんだ。
   ぼくの川柳は下手かもしれないけど、これからも興味深いこと、おもしろいことを詠んでいきたいと思ってる。
   また話を聞いてよ。


筆者紹介

米村 元治(よねむら・もとはる)さん

・「熊本出身のクマモンではなくイナカモン」と、ご本人談。65歳。
・趣味は、漢字・スポーツ・将棋・麻雀等に関する雑学・裏話・エピソードの蒐集。
・「おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり」(高杉晋作・野村望東尼)の精神で、世の中をおもしろがることをモットーとする。語源、成り立ち、由来に諸説がある場合は、「モットーに沿っておもしろいものを採用する」とのこと。
・多くの人に接し、また朝礼など人前で話すことも多かった会社員時代に、話の題材を求めて書店で漢字の成り立ちの本を手にしたところ、それがきっかけで漢字にのめり込むこととなった。
・以後、「楽しい上に職務上も役に立つ」ということで漢字が好きになり、漢字教育士の資格を取得。
・漢字教育士として、川崎市中原区の市民講座で3回、イトーヨーカ堂のヨークカルチャーで6回の漢字講座開催実績あり。


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