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人工的な屋外照明が発明されるまでは、「月」の効用は、いわずと知れた「光源」でした。漆黒の闇の中、「月」は唯一無二の明かりだったのです。祭りや神事ならば、たいまつも許されたでしょう。しかし、私たち日本人の御先祖は、大和平野に照る「月」の光を頼りに、「妹が家に通い」、「夜が明けぬ間」に帰ってきたのです。片道2里、3里は何ということのない健脚の御先祖様でしたが、さすがに月明かりがなければ足元は不安、その照度わずか0.2ルックスとはいえ、大変ありがたい存在であったことでしょう。
私は中国古代の恋愛事情に疎い(詳しい人がどれだけいるかですが、)ので実際に古代中国の人が月をどう見ていたかについては何も言えません。でも、漢字の故郷、殷でもやはり事情は同じではないかと推察しています。
さて、「月」の甲骨文の字形は(図1)のように、三日月です。
「月はみちかけするものであるが、まるい形の日(太陽)と区別するために、三日月の形とする」(『常用字解』)と説明されています。
「また金文では月には点があり、夕には点がない。今の字では、月には点を二つ、夕には点を一つ加えて区別している」(『常用字解』)のです。
「月」の金文の字形を(図2)に示します。
「日」の古代文字の説明には「太陽は丸い形で表すが、中が空っぽの丸い輪ではなく、中身があることを示すために、中には小さな点を加えた。太陽は月のような満ち欠けがないから丸い形にしている」(『常用字解』)とあります。
(図1)「月」の甲骨文(1)(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)
(図2)「月」の金文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)
ちなみに、「月」の甲骨文の字形(図3)の中にも点があるものもありますので、「日」は中身が充実して、「月」は空っぽというのではなさそうです。
(図3)「月」の甲骨文(2)(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)
月を詠んだ漢詩というと、高校の漢文の時間に習った次の五言絶句(李白「静夜思」)が思いだされます。
牀前看月光 牀前(しやうぜん) 月光を看る
疑是地上霜 疑ふらくは是 地上の霜かと
挙頭望山月 頭を挙げて 山月を望み
低頭思故郷 頭を低(た)れて 故郷を思ふ
おそらく、「月」は満月だと思います。また同じ李白に「三日月」を詠んだ七言絶句(「峨眉山月歌」)があることを知りました。
峨眉山月半輪秋 峨眉(がび)の山月 半輪の秋
影入平羌江水流 影は平羌(へいきやう)の江水に入りて流る
夜発清渓向三峡 夜 清渓(せいけい)を発して三峡に向かふ
思君不見下渝州 君を思ふも見ず 渝州(ゆしう)に下る
「半輪」は「半月」と読むのが素直な読み方だと思うのですが、三日月とする説があるようです。私は「峨眉山」の「眉」に引きずられた解釈だと思うのですが、そうであるなら、後に述べる万葉集の歌との関連で面白いことが起こります。
『漢詩を読む 秋の詩100選』の著者、石川忠久氏も、次のように記して私の考えを支持して下さっています。
起句の「峨眉」→「蛾眉」との連想から、女性を考えるのが当然だろう。半輪の月を女性の眉に見立てるのも自然だ。実際に見える峨眉山は、なだらかな眉にふさわしい姿で、女性のイメージである。
でも唐の時代には甲骨文字の存在は知られてはいなかったのですよね。
万葉集は全20巻、4516首あるのですが、どの巻にも「月」を詠んだ歌が出てきます。例をあげてみますと、
夕闇(ゆふやみ)は 路(みち)たづたづし 月待ちて 行(い)ませ我が背子(せこ) その間(ま)にも見む(巻4-709)
(宵闇の中を歩いていくと道がおぼつかないですから、月が出るのを待ってお帰り下さい。せめて月が出るまでの間だけでも、私はあなたを見ていましょう)
恋人が帰って行く時、闇夜の道を危ぶんだ女の歌です。「月が夜道を照らしてほしいの」だけど、本当は「出てほしくない」、ちょっと屈折した乙女心を感じる歌なのです。また、
天(あま)ざかる 鄙(ひな)にも月は 照れれども 妹(いも)ぞ遠くは 別れ来にける(巻15-3968)
(都から遠く離れた田舎の地にも都と同じ月は照っているけれども、妻とは遠く別れてきたことだ)
と、月を鏡にして心の交流を図っています。ともに、この月は煌々(こうこう)と輝いている満月であろうと想像されます。
一方、万葉人の中でも、貴族であった大伴家持(おおとものやかもち)は、
振仰(ふりさ)けて 若月(みかづき)見れば 一目見し 人の眉引(まよひ)き 思ほゆるかも(巻6-994)
(空遠く振り仰いで三日月を見ると、一目だけ見たあの人の引き眉が思われることよ)
さて、皆さんは古代文字「月」の中身の「点」って何を示しているのか想像してみたことはありますか。日本人なら頭にすぐ浮かぶのは「兎」でしょう。
2012年、漢字教育士講座を立命館大学大阪キャンパスで受講していた時(※)、「中国書道史」の講義で大形徹先生が、「蟾蜍」と書かれ、「月に居るものです」と話されました。すると受講生の一人が「せんじょ」と読むこと、意味は「ヒキガエル」であることを即答されました。不老不死の薬を盗んで月に逃げた「嫦娥(じょうが)」という女性がヒキガエルにされたのだそうです。ちなみに「嫦娥」は中国の月探査機の名前にもなっています。
(※Z会編集者註)
漢字教育士講座は、2012年度まで教室での講義形式で行われていました。
2013年度から、Z会の通信教育システムを利用したWEB講座となっています。
万葉歌に月の兎を歌ったものはありません。しかし、不老不死の薬に関連がある「若返りの薬」が月にあるとします。その名は「変若水(をちみづ)」。
天橋(あまはし)も 長くもがも 高山(たかやま)も 高くもがも 月読(つくよみ)の 持てる変若水(をちみづ) い取り来て 君に奉(まつ)りて 変若(をち)得てしかも(巻13-3245)
(天上への橋も長くあってほしい。山も高くあってほしい。それを足場に月へ登って、月の神の持っている若返りの水を取ってきて、あなたに捧げ、若返って頂きたいものです)
地球の衛星「月」、人類は様々な影響をこの天体から受けてきました。その最大の恩恵が「明かり」だったのです。月が明るかったから、歌が生まれ、恋が生まれ、我々が生まれたのです。また、離れていても、同じ「月」を見、心を共有したことから「絆」も生まれたのです。もちろんその満ち欠けによって暦が生まれたのですが、古代人は、月はやせ細ることなく、いつも明るくあってほしいと願っていたのではないでしょうか。「月」の古代文字にしても、「日輪との差」が付きにくいので、三日月形になっていますが、できれば丸く描きたかったのでは、と漢字教育士は「殷」代の甲骨文字作成者の心境を慮っているのです。
「あっ、丸く描いても月とわかる方法を思いついた。」
「どうするんだい?」
「中に『レ点』を付ける(図4)のさ。」
「?」
「満月の中には『返る(蛙)』がおります。」
(図4)創作金文「月」
〔参考文献〕
白川静『常用字解』(平凡社)
石川忠久『漢詩を読む 秋の詩100選』(日本放送出版協会、NHKライブラリー)
1950年、大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。
学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。2013年・2014年と、奈良県 斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業を実施(町内の全小学校で実施済み)。また、子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年からは公民館 で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすく、との趣旨で「気楽に万葉集」講座も始めた。漢字教育士1期生。