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【矢作詩子さん】「詩子先生の漢字教室」(3)

常用漢字はどのように決まる?(その2)

2010(平成22)年に改定された「常用漢字表」にまつわる話題を続ける。
簡単におさらいしておくと、この改定の際に追加・削除する文字の候補は、『朝日新聞』と『読売新聞』の紙面、ウェブサイト調査の抽出データ、書籍の組版データなどから、出現頻度に応じて決められていったのであった。


一番おなじみの漢字は

3位の漢字は「日」、2位は「一」、では1位は……?
これは、新聞・書籍・ウェブなどの漢字出現頻度数調査(「漢字出現頻度表 順位対照表(Ver. 1.3)」、文化審議会国語分科会漢字小委員会〔第24回・2008年7月15日開催〕資料)の結果だ。
常用漢字の改定については、学習院生涯学習センターの私の講座でも受講生の関心が高く、よく取り上げた。そして受講生の皆さんにも上位の漢字は何か考えていただいた。ちなみに4位以下10位までは「大・年・出・本・中・子・見」と続く。すべて小学校1年生で学習する字である。1位の字が何か、お分かりになるだろうか?
一方、常用漢字表にまだ入っていない字で出現頻度1位の字は「藤(トウ・ふじ)」だった。藤原さん、伊藤さんなど名字に多く見られるなじみの深い字である。以前は原則として、動植鉱物名を表す字は除外されていたが、前回にこのコラムで書いたように、2010年の常用漢字改定では「虎・鶴・亀」も選ばれ、植物名の「藤」とともに常用漢字に入ることとなった。藤の花は「フジ棚」よりやはり「藤棚」がいい。「藤色」というきれいな熟語や、同じく表入りした「葛(カツ・くず)」と共に、カズラやフジのつるが絡みあった「葛藤(カットウ)」という複雑な熟語も作る。

答え:出現頻度数1位の漢字は「人」。 


「鍋」と「釜」の熱い戦い

身近な字なのに不思議と常用漢字でなかった「鍋」と「釜」。
我が家の台所には土鍋、片手鍋など「鍋」はいくつもあるが「釜」は見あたらない。「電気釜」は「炊飯器」という言い方をするようになった。
片や「鍋」は「鍋料理」が全盛で、「よせ鍋」「ちゃんこ鍋」「ちり鍋」と迷うほどの種類の多さだ。「鍋奉行」の上に「鍋将軍」という立派な地位がある。アク代官までいるというから日本人の鍋に対する愛着は半端ではない。
このように、生活実感でとらえると、どうしても「鍋」と「釜」では差ができてしまい、二つの字は仲良く常用漢字入りの候補だったものの、「釜」はその後外された。「鍋・釜」合戦は一旦は「鍋」の勝ちであった。
ところがその後「釜」に更なる検討が続いた。「釜山」「釜石」などの固有名詞に多い字だが、茶道では「茶釜」を使い、「後釜」という熟語例もある。アツアツの「釜飯」や「釜揚げうどん」も鍋に負けていない。
そうしてついに、「釜」も最終段階で常用漢字表入りを果たした。最近の炊飯器は「○○羽釜」とか「○○炭釜」という名付けも見られ、ほっかほかの炊き上がりが思い浮かぶ。


「窯」は生え抜き

ご飯を炊いたり、うどんをゆでるのは「釜」。ではピザやパンを焼くのは? それは「窯」なので、間違えないように気を付けなければならない。
この「窯」は、戦後間もない1946年に制定された当用漢字1850字に早々に選ばれ、そのまま常用漢字に入り続けている「生え抜き」の字である。「窯(ヨウ・かま)」は「穴+羊(ヨウという音)+火(列火)」という構成が示す通り、食べ物や陶器を焼くのに使う穴やかまどを表す。「登り窯」「窯元」「炭焼き窯」などがある。「窯業」という熟語例があるが、陶磁器、瓦、ガラス、セメントなどを製造する工業を指す。戦後ずっと日本の伝統産業を支えてきた大切な字である。
2010年の常用漢字表改定でもう一つ選ばれた「かま」に、鎌倉の「鎌」がある。「金+兼」という構成で、「兼」は二本の禾(稲)を併せて手に持つ形であり、手に握って稲を刈り取る金属の道具をさす。
この三つの「かま」が常用漢字表に入り、焼き物を焼く「窯」、煮炊きする「釜」と、鋭い刃のついた農具の「鎌」の使い分けが漢字ではっきりしたことになる。


「鬱」も常用漢字に

前回このコラムで取り上げた「俺」と並んで話題になった、「鬱」。指導すると思うだけでゆううつになる、と学校の先生を暗い気持ちにさせた。
常用漢字に入っていない時は「憂うつ」とまぜがきしていた。が、「憂鬱」と書いた方がわかりやすいという意見が従来から強かった上に、印刷物では使用頻度がかなり高かったので社会的に常用されていると認めて、常用漢字に追加されることになった。
「漢字表に掲げるすべての漢字を手書きできる必要はな」いというのが、2010年改定の常用漢字表の特徴だ(2010年6月7日文化審議会答申「改定常用漢字表」の「I 基本的な考え方」p.7)。パソコンや携帯の発達で、漢字は「書く」時代から、「鬱」も「打つ」時代になった。手書きすることはできなくても、機器の力を借りれば可能である。
が、私の講座では常用漢字を手書きできることを目指していた。「鬱」というこの手ごわい字、どうすれば書けるだろうか?


「鬯(チョウ・においざけ)」と、その甲骨文(右)

「鬱」はお酒の香り

私と同じ漢字教育士の中に、好きな漢字は「鬱」、と答えるおじさまたちがいる。「繁茂」の意が表れているところが良いそうだ。たしかに、込み入ってはいるが、なぜか気になる字ではある。
この字のややこしい部分「鬯(チョウ・においざけ)」が、実は部首で大切な意味を持つ。円満字二郎先生の『部首ときあかし辞典』(研究社)に、こんな面白い解説がある。

「鬯」は「ウコンや黒キビから作った香り高いお酒」を表し、容器に入っているところを描いた形だそうだ。「鬱」はそこから派生した漢字で「香りが立ちこめる」ところから「木が生い茂ってあたりをふさぐ」が本来の意味。転じて「気持ちがふさぐ」ことを表すようになった。一度「鬯」の成り立ちを知ってしまうと、見るたびにお酒の香りがプンと匂ってくるような、なかなかの表現力を持っている。

なるほど、人を酔わす魅力のある字なのだ。


「リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲む」

「鬱」を書いてみよう

「鬱」は29画もあり、常用漢字表の中では画数トップになった。中世の日本人にも難しかったようで、「林+四+郎」と縦に書く略字もあったそうだ。
この「鬱」は、ひとたび常用漢字表入りが決まると、ネット上で書き方の工夫がいくつも登場した。一番人気は「リンカーンはアメリカンコーヒーを三杯飲む」だ。「鬱」を分解して「林、缶、ワ、米、コ、ヒ、三」と書くと出来上がり。
学習院の私の講座でも、「鬱」の字源を理解した上で、「リンカーンは……」と皆で声を出して繰り返すと、全員が確かにちゃんと書けるようになった。暗いイメージとは裏腹に、お酒やコーヒーの香りが漂うかのごとく教室の中がにぎやかに楽しくなる字である。
講座の帰り道に「あれ? 何大統領だっけ?」と、忘れる方もいらっしゃったが、リンカーンですよ。それさえ思い出せば大丈夫。もう一度書いてみましょう。

次回からは、お菓子の漢字を取り上げる予定。どんなお菓子が出るか、お楽しみに。


筆者紹介

矢作 詩子(やはぎ・うたこ)さん

1972年、同志社大学法学部卒業。大学在学中に大阪万博で通訳の経験をしたことがきっかけとなり、英語・日本語講師になる。1993年ジャカルタの法律事務所で日本語指導。帰国後、漢検準1級取得。2003年より生涯学習センターや自治体などの漢字教養講座を担当する。漢字教育士資格講座を受講して、白川文字学を学び、2013年「漢字教育士」・「漢字教育サポーター」資格取得。兵庫県芦屋市在住。


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