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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(4)

「夢」語ることなかれ

あなたの「夢」は何ですか

学生さんが企業の面接で、就職担当者からされる質問の一つに、「あなたの夢を聞かせてください」というものがあります。学生の側も心得たもので、「私の夢は、グローバル企業である御社でアグレッシブに行動し、ワールドワイドにチャレンジすることです」などとしっかりと前を向いて受け答えするのです。でも私は常々、「『夢』ってそんなに軽々しく語っていいものだろうか」と思っています。
「アメリカン・ドリーム」という言葉がありますが、現代は「夢」を自らの野望、志、目標と同義に考え、積極的に人に開示するものであることが当たり前とされる時代です。でも本来の「夢」とは「重く、侵しがたいもの。ましてや積極的に開示するべきものではない」。私はそう考えているのです。


「夢」の古代文字

漢字を生んだ古代の中国人にとっての「夢」とは、どのようなものだったのでしょうか。「夢」の甲骨文の字形を(図1)に示します。
白川静先生の『常用字解』には、「夢」は「眉を太く大きく描いた巫女(ふじょ)(神に仕える女)が座っている形」と説明されています。
また、「夢は……古くは呪術を行う巫女が操作する霊の作用によって夜(夕)の睡眠中にあらわれるものとされた。」(『常用字解』)ともあります。
次に「夢」の篆文を(図2)に示しますが、白川先生も説明されているように、夢は「夜(夕)の睡眠中に」見るものだったので、「夕」の字が含まれるのも当然のことですね。
「こんな夢を見ました」と報告する義務が巫女にはあったでしょうし、その報告によって運命が左右された人もあったでしょう。したがって「夢」は古代においてはとても「重い」ものであったのです。


(図1)「夢」の甲骨文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図2)「夢」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

日本の「夢」

万葉集の「夢」

昔の日本人の「夢」に対する認識はどうだったのでしょうか。彼らにとっても、「夢」が睡眠中に見る心理現象を指していることは確実です。万葉集には次のような歌があります。

人の見て 言咎(こととが)めせぬ 夢(いめ)にわれ 今夜(こよひ)至らむ 屋戸(やど)閉(さ)すなゆめ(巻12-2912)
(世間の人が見ても咎めだてしない夢の中で、私は今夜通って行きましょう。家に鍵を掛けないで下さい。けっして)

「夢」の字を万葉時代は「いめ」と読みました。かつて私は、ページを繰って数えてみたのですが、万葉集には「いめ」は95首に詠まれており、それらの歌のうち、87首までが恋人、夫、妻等の自分の親しい人が出てくる歌でした。
現在と違い、自由な恋愛や、思いを伝えるすべが少なかった時代でも夢の中での出会いは自由でした。夢は他人の踏み込めない聖域でした。夢に現れてほしい対象は、その人たちにとって大事な人だったのではないでしょうか。夢は想う人同士の交流の舞台であり、その中のできごとは、他人に対してゆめゆめ声高に語られるべきものではあり得なかったのだと私は思います。
 


古今集の「夢」

夢は秘めるもの。それは平安時代の女性にとっても同じでした。古今集にはこれも私が数えたところ28首に「夢」が詠まれており、たとえば小野小町は

うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは たのみそめてき(恋歌2 巻12-553)
(うたたねをして恋しいあなたのお姿を夢に見てからは、頼りにならないと思っていた夢というものを当てにし始めてしまいました)

と、夢を頼りにしていると詠い、夢の中でしか会えない恋人に対する絶唱を残しています。

思ひつつ 寝(ぬ)ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを(恋歌2 巻12-552)
(会いたい会いたいと思って寝ていたからあの人が夢に見えたのであろうか、夢と知っていたら目覚めなかっただろうものを)

和歌、短歌の伝統の中では、夢は「眠っている間に実際に体験するかのように感じる現象」あるいは「はかないこと、実在しないもの、まぼろし」の意に、長い間使われてきました。まさに「イ(にんべん)」に「夢」と書いて「儚(はかな)い」。そんな儚いものであっても「夢」はとても大切にされ、儚いがゆえに古人にとっては重い存在であったのです。
 


江戸の「夢」

古代からずっと時を経て、江戸時代の人にとっての「夢」の例を見てみましょう。「天狗裁き」という落語をご存知ですか。こんな噺(はなし)です。

うたた寝をしていた男に、女房が「お前さん。嬉しそうにしていたじゃないか。どんな夢見てたんだい。」と問い詰めた。ところが、男は「覚えていない。」としか答えられない。
そこで怒った女房は大家に訴えた。夫婦喧嘩の仲裁に入った大家が、男に問いただす。しかし男は、「知らない。」
怒った大家が奉行所へ訴え出た。男「知らぬ。」怒った奉行は男を木に括り付けた。
その様子を空から見ていた天狗が突風を起こして男をさらい、山奥へ連れて行き、夢について問いただす。しかし男は、「知らない。」怒った天狗の鋭い爪が男の胸を……。
そこで男が目を覚まし、「ああ夢か。」目を覚ました男の傍らで、女房「お前さん、どんな夢を見てたんだい。」

とってもシュールな落語なのですが、「他人の夢」って、人は「とっても知りたいもの」であるようです。でもそれを知ったところでどうでもいいと私は思うのですが……。ちなみに「いろはかるた」の最後は「京の夢、大坂の夢」でしたね。
 


現代人の「夢」

今日では、「夢」は「来るべき未来、理想、自身の将来」という意味に使われることが多いようです。「近頃の若者の語る言葉に『夢』がない」などのように。そしてその「夢」を積極的に語ることが求められています。
明らかに「夢」が変質してしまったように思えます。いつの頃からでしょうか。それは、ちょうど日本全体がバブルへと一目散に突き進んで行った時代と見事に符合するように思うのです。そうして声高に語られ始めてから、「夢」の持つ重さは逆にどんどん減ってきたように思います。世の中が混迷を極め、経営者、指導者が明確な指針を示せなくなったバブル崩壊後も、「夢」は実に便利な言葉として、使われ続けたのです。
2001年、私の勤めていた電器会社のスローガンは「夢ある企業へ 大革新」でした。 企業の目的は「夢あること」ではなく、「夢」と呼んできたものを現実のものとして実現して成果を出すことでしょう。むしろ声高に語るべきは「夢を終わらせる」「夢から覚める」こと、そしてまた「新しい夢」を見ることだったのに、いつまでも終わらない夢を見続けることしかできなかったのです。2014年のその会社のスローガンは「Wonders!(ワンダーズ!)」です。「ワンダー」って何なんだー。まだ「大阪の夢」を見続けているようです。


まとめ

巫女の見る「夢」は、「語られなければならない」ものでした。「夢」を語ることは、「恐ろしいこと」でもあったでしょう。ことと次第によっては、自らの命にも関係することですから。したがって「夢」は慎重に語られたのでしょう。
現代は「夢」があまりにも軽く扱われすぎている時代ということができます。そして、「夢」と呼んでいるものの多くは「大志、理想、目的」などと言い換えた方が適切であると、漢字教育士は思うのです。「偶然や運の良さがなければ実現できないものを獲得しようと努力すること」、それが本当の「夢」だと思うのです。例を挙げると「1等を当てたいと思って、宝くじを買うこと」です。事実「ドリーム・ジャンボ宝くじ」があるではありませんか。
もちろん「夢」を語ったとて、命まで取られることはないので、現代は幸せな時代です。でも心の中を何でもあからさまに世人に晒(さら)してしまうのでなく、万葉人、平安人のように個人の聖域として、儚いが重い夢の部分も大切に持っていたい。それが万葉以来の伝統のある「いめ」に対する正しい敬意の払い方であると思うのです。

えっ、「漢字教育士も『夢』があるのか」ですって?
そりゃありますよ。でもそれは「ゆめゆめ語るまじ」。


〔参考文献〕
 白川静『常用字解』(平凡社)
 中西進(校注)『万葉集(1)~(4)』(講談社文庫)
 久曾神昇(訳注)『古今和歌集(1)~(4)』(講談社学術文庫)


筆者紹介

丹羽 孝(にわ・たかし)さん

1950年、大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。
学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。2013年・2014年と、奈良県 斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業を実施(町内の全小学校で実施済み)。また、子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年からは公民館 で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすく、との趣旨で「気楽に万葉集」講座も始めた。漢字教育士1期生。


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