1. home
  2. 漢字教育コラム
  3. 【矢作詩子さん】「詩子先生の漢字教室」(8)

【矢作詩子さん】「詩子先生の漢字教室」(8)

お菓子と漢字のつながり ?桜の季節によせて?

桜の花をめぐって

このコラムを書き出した2月中旬、学習院生涯学習センターの私の講座の元受講生から、皇居の東御苑で撮ったという寒桜の写真が送られてきました。冷たく澄んだ青空に鮮やかなピンクが映えて、一足早く春の訪れを感じさせてくれました。「花信(かしん)」という言葉がありますが、花が咲いたという知らせが届くと、春の訪れをだれかれとなく一緒に喜びたい気持ちになります。今年も日本列島に桜を愛(め)でる季節がやって来ました。


二階の女、木の下の女

「さくら」の名前の由来については、「咲くや」にちなんでいるとするなど、数多くの説があります。漢字の「桜」は日本では樹木のさくらを指しますが、中国では“ゆすらうめ”という別種の樹木をさします。“ゆすらうめ”などの花については、いずれまた取り上げたいと思います。

「桜」という漢字は、以前は「櫻」と書きました。この漢字の覚え方として、
二階(貝)の女が 気(木)にかかる
という字解きが広く知られていますが、リズムも良く、一度聞いたらしっかりと記憶に残ります。私としては誰がこの粋な語呂合わせを編み出したのか、それこそ気にかかるところです。
『漢字ときあかし辞典』(円満字二郎・著)によると、映画『男はつらいよ』の中で、この「二階の女が……」という字解きを「寅さんが、妹さくらのお見合いの席で披露している」とのことですが、映画で見たという方もいらっしゃるかもしれませんね。
“二貝の女”に当たる「嬰」という字は、貝を連ねた女性の首飾りを表し、「エイ・オウ・ヨウ」などの音を持ちます。「嬰児(エイジ)」は「みどりご(生まれて間もない子ども)」、鸚鵡(オウム)は鳥の名、瓔珞(ヨウラク)は宝石をつないだ仏像の飾り具の名です。

「櫻(さくら・オウ)」という字は1949(昭和24)年に制定された当用漢字字体表で「桜」という形になりました。“二貝”は“ツ”に変わったわけです。
そこで、
木の下の 女に花びら 舞いおちる
という字解きではいかがでしょうか?


「桜」の曲といえば?

さて「桜」といえばどんな曲が思い浮かびますか?
『朝日新聞』2015年2月21日付けで、「あなたの好きな桜ソング」という特集記事がありました(このコラムの一番下に記事へのリンクを張っています)。朝日新聞デジタルの会員を対象に、ウェブサイトで1月下旬にアンケートを実施した結果だそうです。
1位の「さくら」(森山直太朗)、2位の「桜坂」(福山雅治)に次いで、日本古謡「さくらさくら」が堂々の3位に選ばれました。僅差の4位にはコブクロの「桜」が続きますが、時代に応じた曲がどんどん作られる中にあっても、伝統的な「さくらさくら」は年齢を問わず日本人が桜の季節に思い浮かべる名曲なのですね。


箏曲「櫻」♪

「さくらさくら」は日本古謡と表記されますが、江戸時代に箏(こと)の手解き(てほどき)用の曲として作られたものだそうです。
私の母は箏曲(そうきょく)の指導や演奏をしており、私も幼い頃より箏に親しんできました。箏には弦が13本あり、低音から順に「1の弦、2の弦」と、覚えていきます。この「さくら」は箏の真ん中の7の弦から弾き始め、「7(さ)7(く)8(ら)」と演奏しながら弦の位置を覚えられるという、まさに初歩のてほどきにはぴったりの練習曲です。
曲の作者は不明ですが、1888(明治21)年に文部省音楽取調掛(のちの東京音楽学校[現・東京藝術大学音楽学部])が編集した『箏曲集』の中に「櫻」として記載されました。『箏曲集』はインターネットでも閲覧できますので、これも一番下にリンクを張っておきます(「櫻」の歌詞はコマ番号6に、五線譜はコマ番号22~23に掲載されています)。この『箏曲集』によって、邦楽曲が初めて洋式の五線譜に書き表され、以後、「さくら」は日本を代表する曲として広まりました。


桜餅あれこれ

さて、ここから“花より団子”いえ、“花よりお餅”のお話です。
桜といえばやはり桜餅ですね。この桜餅には、“東西の違い”が顕著に表れています。東京では水溶きした小麦粉を薄く焼いた生地で餡(あん)を巻いたもの(写真1)、一方、関西では道明寺粉を蒸した生地で餡(あん)を包んだものが一般的です(写真2)。関西では桜餅といえばほぼ道明寺スタイルしかお目にかかりませんが、東京ではどちらも売られています。


(写真1)

(写真2)

始まりは隅田川

桜餅は江戸が発祥の地です。
徳川幕府第8代将軍・吉宗(在職1716-1745年)は、隅田川の両岸や飛鳥山(あすかやま・東京都北区)などに桜の植樹を命じ、江戸を代表する花見の名所をこしらえました。この隅田川堤の近くの長命寺の門番が、桜の葉を集めて、塩漬けにして餡の入った餅を包み、1717(享保2)年に茶店で売り出しました。これが桜餅の始まりです。桜の名所という立地で大評判になりました。この門番が後の山本屋の主人で、今も「長命寺桜もち」の老舗として有名です。
このお店でも現在売られているような小麦粉生地の製法がいつから始まったかは不明ですが、桜餅は江戸時代後期に隅田川名物として広まり、その後関西にも伝わりました。


関西の桜餅と道明寺粉

江戸で流行した桜餅は、各地で真似して作られるようになりましたが、どこでも同じではなく、次第に関西は道明寺粉を用いた生地が主流になったようです。
道明寺生地は比較的新しく、1897(明治30)年頃、京都の奥村又兵衛という人物が「嵯峨名物桜餅」として発売したという記録があります。嵯峨には桜の名所の嵐山があり、隅田川と同じくお花見には桜餅が好まれたのでしょう。
道明寺粉は、もち米を水につけて蒸してから乾燥させた後、粗く挽(ひ)いたものです。大阪府藤井寺市にある道明寺で保存食として作られた糒(ほしいい)が有名だったことから、この名がつきました。「ほしいい(『ほしい』とも)」は「干し飯(乾し飯)」のことです。ちなみに、「糒」という漢字も難しい字ですが、「米+備える」と分解するとナルホド!ですね。


(写真3)

道明寺を訪ねて

藤井寺市は、私の祖父母の家がかつてあった場所で、私の出生地でもあります。幼い頃を思い出しながら道明寺を訪ねてみました(写真3)。

藤井寺市内には、仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)をはじめ、驚くほど多くの古墳があります。道明寺は、古墳造営に携わった土師(はじ)氏の氏寺(土師寺)として7世紀代に建立されました。土師氏の子孫である菅原道真(すがわらみちざね)公ゆかりの寺で、道真公の別名「道明」によって道明寺と呼ばれるようになったそうです。


道真公は、おばの覚寿尼(かくじゅに)がこの寺に住んでいたことから、左遷されて九州の大宰府に向かう時にも立ち寄り、別れを惜しんだと伝えられています。この場面は歌舞伎の演目「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の二段目「道明寺」として上演されることでも有名です。ちなみに、2015年3月の東京大歌舞伎では片岡仁左衛門が菅丞相(菅原道真)を演じました。
こうしたことから、道明寺は道真公を祭神とする天神信仰の地ともなりましたが、明治の神仏分離に伴って、道真公(天神様)を祀る天満宮と寺が分離されました。その結果、古くからの敷地には道明寺天満宮が残り、仏教寺院としての道明寺は隣の敷地に移って、今に至っています。
道明寺の境内では、道明寺糒(ほしいい)の展示もしています(写真4・5)。和紙の袋の上の「ほしいひ」は豊臣秀吉の文字だそうです(「飯(いい)」は、歴史的仮名遣いでは「いひ」と表記します)。道明寺天満宮内の宝物館では、道明寺に宛てた豊臣秀吉の朱印が記された「糒(ほしいい)礼状」が展示されています。軍隊の兵糧として大変重宝したことに対するお礼が書かれています。


(写真4)

(写真5)

せっかく道明寺を訪ねましたので、もちろん門前の商店で桜餅を買いました(写真6)。本場の道明寺粉は粘り気があり、柔らかくとろけそうでした。すっきりした東京風に対して、米の粒がみえる関西の道明寺生地は、はんなりした趣が漂います。そういえば関西のことばの、「はんなり」は「花なり」が変化したものです。


(写真6)

桜餅の桜葉について

東西の桜餅に共通しているのは、桜葉で包むことです。この桜葉を多く生産しているのは伊豆半島南西部の静岡県松崎町で、全国のほぼ70%を占めるそうです。使われるのは大島桜の若葉で、大きな樽に詰めて塩漬けにします。あのよい香りは、塩漬けにして発酵する過程で作られるクマリンという成分によるものだそうです。
桜餅といえば、葉を食べるか食べないか迷うこともあります。京都人は移り香を楽しんで葉を残すともいわれていますが、そこはお好みしだいです。

三つ食へば 葉三片や 桜餅    高浜虚子

桜は見て良し、食べて良し、そして聞いて良し、日本人の心に咲き続ける花なのですね。
和菓子のリサーチで体重も気になるところですが、次回も季節のお菓子の話題が続きます。


〔参考文献〕
青木直己『図説 和菓子の今昔』(淡交社)
稲畑汀子『三省堂ホトトギス俳句季題便覧』(三省堂)
円満字二郎『漢字ときあかし辞典』(研究社)
大貫茂『桜の話題事典』(東京堂)
笹原宏之『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)
白川静『字統』(平凡社)
中山圭子『事典 和菓子の世界』(岩波書店)
松村直行『童謡・唱歌でたどる音楽教科書のあゆみ 明治・大正・昭和中期』(和泉書院)
虎屋文庫 第77回甘い対決「和菓子の東西」展(2014年11月1日~30日)資料
 


筆者紹介

矢作 詩子(やはぎ・うたこ)さん

1972年、同志社大学法学部卒業。大学在学中に大阪万博で通訳の経験をしたことがきっかけとなり、英語・日本語講師になる。1993年ジャカルタの法律事務所で日本語指導。帰国後、漢検準1級取得。2003年より学習院生涯学習センターで「おとなのための漢字学習」を11年間担当。武蔵野市、日の出町など自治体の漢字教養講座も担当。漢字教育士資格講座を受講して、白川文字学を学び、2013年「漢字教育士」・「漢字教育サポーター」資格取得。兵庫県芦屋市在住。


pagetop

お気軽にご連絡ください

立命館アカデミックセンター事務局
(学校法人立命館 総務部社会連携課内)
〒604-8520 京都府京都市中京区西ノ京朱雀町1番地
TEL:075-813-8288(直通)
(受付時間:月曜日~金曜日 10:00~17:00 ※年末年始・お盆期間・祝日を除く)
 お問合せはコチラへ