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【新井由有子さん】甲骨金石 百字夜行(2)

ひとあしの行進は続く

 前回に続きまして、「儿(にんにょう・ひとあし)」に関するお話を。「儿」の行進は続いております。

見・聞・先・光・兄・令・命・兌・竟・若・兇・羌・鬼・?・兎

 前回は「竟」まで参りましたから、次は「若」でございます。
……ん? 「若」のどこに「儿」が?


 「若」といえばご覧のとおり、「くさかんむり+右」です。「くさかんむり」と言えば当然、植物にまつわる何かから生まれた漢字……かと思いきや、若の古代文字は右のとおり→

 白川静『常用字解』(平凡社)の説明によると、「若」は

巫女(神に仕えて神のお告げを伝える女。みこ)が長髪をなびかせ、両手をあげて舞いながら神に祈り、神託(神のお告げ)を求めている形。

とのことです。この形に、のちに「口(サイ)」が加えられた、というわけです。「口(サイ)」は前回コラムでもお話しした通り、神への祝詞や誓文を入れる器です。
 「若」の「くさかんむり」に相当する部分は若い巫女が振り乱す豊かな髪の毛であって、植物には縁もゆかりも無いのです。字形が整えられてゆく中で、まるで関係の無い字同士がひょっこり似通ってしまう、という事態も漢字の世界では時々起こります。

 続きましては「兇」です。「兇刃」「兇暴」「兇器」などの熟語で用いられる字ですが、新聞などでは常用漢字の「凶」に置き換えられることが多いようです。この「兇」は「凶(悪い・まがごと)+儿」の会意文字です。
 「凶」とは死者、特に横死者(不慮の死を遂げた者)の胸部に×型の文身(入墨)を加えた形で、その体内に邪霊が入らないようにとの悪霊封じの意味がありました。「兇」とはこの「凶」に「ひとあし(儿)」がついたもの、つまり邪霊を持ってしまった死霊を表しているのです。
 人々にとってまたその共同体にとって、恨みや無念の思いを抱いたまま死んだか殺されたかしたものの死霊は、生者たちの生活を脅かす恐ろしい存在であったのでしょう。


かぶる人々

 次なる「ひとあし」は「羌」、上に載っていますのはおや、羊です。


 白川静『字統』(平凡社)によりますと「羌」は

羊頭の人の形。西戎の一とされる羌人で、牧羊族であり、古く羊頭神の信仰をもっていたようである。

とあります。「西戎」、つまり中国北西部に勢力を持っていた異民族で、今も少数民族「羌族」にその名が残ります。羊頭の神を信仰していたという「羌」、その古代文字は右のとおり。
 まさに羊頭の人。殷商時代、羌人はしばしば生贄として捧げられたと記録されてます。
 右の字の中には、羊の頭から後方へにゅっと伸びる尾のようなものが見えます。これ、おわかりになりますか?

 これは……なんと辮髪(べんぱつ)!
 辮髪といえば映画『ラストエンペラー』の清朝(中国東北部発祥の満洲族が立てた王朝)のイメージが強いですが、モンゴル周辺の民族に広く見られる髪型なのだそうです。
 ちなみに辮髪の起源は、兜(かぶと)装着時の頭部の蒸れ対策であったとか。とすれば、日本の武士の月代(さかやき)と同じ目的ですが、剃り上げる部分が逆というのが、なんとも不思議不思議。


 次は「鬼」でございます。さあ、「鬼」のかぶりモノは何でしょう?
 『字統』で「鬼」の項を見ると、「鬼」に関係があると考えられる字の解釈を重ねた上で、「鬼とはもと人屍の風化したものを称する語であろう」と説明しています。古代文字を見れば、大きな頭部を持つ異形のモノがひざまずく姿です。この頭部は鬼面であるとも祖先の人骨であるとも……。
 この鬼頭のモノが正面を向いて両手を上げる形が「異」、霊威を示す杖を振り上げる形が「畏」です。
 何やら恐ろしくも悲しげな感じがいたしませんか?

 ちなみに中国で「鬼」というと忌むべき亡者・幽鬼のことであり、「鬼」のつく言葉も軒並み暗く卑しくネガティブな意味のものです。


 一方日本の「鬼」はといえば、虎のパンツに牛の角、金棒を持った筋骨隆々の獄卒であったり、山や島に住んで人を襲うアウトロー武装集団であったり、人間にとっての脅威として恐れられる一方で「仕事の鬼」「鬼武者」など、常人を超えた力や偉大さへの賞賛を含んだ言葉であったりもします。良きにつけ悪しきにつけ、なんだか強そう・凄そうなイメージです。

 余談ですが、この日中間の「鬼」イメージの差が引き起こした(かもしれない)こんな話がございます。
 第二次世界大戦中、中国の人々が日本人を罵って言った言葉に「日本鬼子(Riben-guizi)」というのがありました。中国人にとっては最大級の蔑称です。まだ記憶に新しい反日デモの多発した2010年頃、インターネット上には再びこの言葉が氾濫したそうです。
 その時この呼称を知った日本人ネットユーザーの間で、「日本鬼子」を「ひのもとおにこ」なる萌えキャラにしようという運動が発生し、黒髪和服の鬼娘キャラクターとしてネット上に次々と発表。「日本鬼子」と検索すれば旧日本軍ではなく萌えキャラがヒットする、という事態になりました。
 これを見た中国のネット上には「無力感に苛まれる」「やつらは萌えで世界征服する気だ」など、脱力コメントであふれたとか。何かと摩擦も多い日中間ですが、オタク同志はきっと仲良くなれるに違いないと思ったものでした。


アニマルたちの儿

 最後は以前のコラムでも取り上げました「?(ジ)」と「兎」。わたくしうさぎといえばこちらの「兎」の方がなじむのですが、これは略字であって「兔」と書くが正字です。
 「?」は、中国古代の地理書『山海経』(ただし各地に伝わる妖怪などのトンデモ記事も多くて楽しめます)などに登場する猛獣で、中国の南方、楚地方の水辺に生息し固い皮革と一角を持つとされます。「それって犀(サイ)では?」と思うのですが、古文献には「犀?」などとしばしば並び記され、区別されていたようなのです。ちなみに『西遊記』には「獨角?大王」なる魔王が登場します。
 「?」「兎」いずれにも「儿」が付いておりますが、古代文字を見ればこの通りの獣形。これも「若」の「くさかんむり」と同じく、ルーツをたどれば全く異なるのにたまたま似てしまった、というパターンです。


 ところでこの「?」、甲骨文字では確かに一角らしく描かれておりますが、漢字の上部は「凸」ではなく「凹」。

角が出ているならばむしろ「凸」では?

と思うのですが……。あるいは横から見た顔で、角から鼻筋・口元までのラインを表しているのでしょうか?

 あるいは「凸」と書くべきところを敢えて「凹」と書くことで、そのへこんだところにこそ「なにかある」と感じさせるような、無いことでかえって存在を主張するような、逆転の抽象的表現であったりするのでしょうか? ワタクシとしてはその方が捉え難い謎の獣にふさわしい気がして、後者あればいいなぁ……と密かに願っておる次第です。






〔参考文献〕

白川静『字統』(平凡社)
白川静『常用字解』(平凡社)
『大漢和辞典』(大修館書店)
松浦史子『漢魏六朝における『山海経』の受容とその展開』(汲古書院)
フリー百科事典Wikipedia


筆者紹介

新井 由有子(あらい・ゆうこ)さん

漢字教育士講座1期生。
2012年、受講中の漢字教育士講座レジュメ上で、甲骨・金文の「見」(図左)と目が合い一目惚れ。すっかり中国古代文字に魅入られて、字書游泳が趣味となる。
この度コラムの場を頂けてしめしめ、滾(たぎ)る文字妄想を書き連ねる所存です。
東京都在住、デラシネのOL。徳島県出身。


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