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【丹羽孝さん】古代文字と和歌(9)

鳥とりどり

鶯が鳴けば春が来た、雁の雁行を見れば秋の深まりを感じる……。日本人は季節の移り変わりにとても敏感でした。
今回は四季を代表する鳥を取り上げ、それぞれの鳥を詠んだ和歌から見えてくる人と鳥たちの物語を語っていこうと思います。


百人一首に詠まれた鳥

百人一首に鳥が詠まれている歌は、次の5首です。

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む(柿本人麻呂、百人一首3番、『拾遺和歌集』恋3-773)
(山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾っぽのように長い夜を独りさびしく寝ることだろうか)


かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける(中納言家持、百人一首6番、『新古今和歌集』冬-620)
(七夕にかささぎが翼を連ねて天の川に渡した橋のような、宮中の橋の上に降りた霜の白さを見ていると、夜もふけたのだなあと感じてしまうよ)


夜をこめて 鳥の空音(そらね)は はかるとも よに逢坂(あふさか)の 関は許さじ(清少納言、百人一首62番、『後拾遺和歌集』雑-940)
(夜がまだ明け切らないうちに、鶏の鳴きまねをして関所の扉を開けさせようとなさっても、あの函谷関の関守ならいざ知らず、あなたと私が逢うという名の逢坂の関守はあなたを通しませんよ)


淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守(源兼昌、百人一首78番、『金葉和歌集』冬-270)
(淡路島から渡ってくるもの悲しい千鳥の鳴き声に、幾夜目覚めさせられたことだろうか、源氏の君がおられたあのさびしい須磨の関守は)


ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる(後徳大寺左大臣、百人一首81番、『千載和歌集』夏-161)
(ほととぎすが鳴いた方角を眺めやれば、ほととぎすの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった)

「やまどり」「かささぎ」「にわとり」「ちどり」「ほととぎす」と鳥が詠まれていますが、実景らしきものを詠んだのは81番の後徳大寺左大臣の「ほととぎす」が鳴く歌一首のみです。後は全て比喩の表現で、「にわとり」に至ってはうそなきです。
「百人一首の撰者、藤原定家は鳥に冷たいな」……漢字教育士はそう思ったのですが、「そんなことはないよ」といった意見も。
「どうしてですか?」
「だってカルタとりはたくさんいるもの」
なるほど。


季節の移ろいと鳥

鳥には活躍する季節があります。和歌の中では鳥がどのように詠まれているか、春から順に見ていきましょう。


・春のうぐいす

春の鳥は「鴬(うぐいす)」です。今の日本で一般に用いられる字体は「鴬」ですが、本字では「かんむり」を「火火」として、「鶯」と書きます。中国古代の秦などで広く用いられた篆文という字体では、(図1)のように書きます。
白川静先生の漢和辞典『字通』によると、儒教の基本経典である『詩経』に「鶯たる羽有り」とあることから、「鶯」という字は「羽の美しい意に用いる」とのことです。しかし漢字教育士には、ウグイスの羽根は、そう美しいものとは思えないのです。羽色でいえばメジロの方がきれいで、おいしそうです。ただ、鴬は「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれ、春を代表する鳥であることは異論のないところでしょう。


(図1)「鶯」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)


この鴬を詠んだ歌としては、『万葉集』に大伴家持の次の歌があります。

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鴬鳴くも(大伴家持、『万葉集』巻19-4290)
(春の野に霞がたなびいて、何となく寂しい気がする。日の暮れ方、鴬が鳴くのを聞くのも一層寂しさを募らせることよ)

この歌は天平勝宝5(753)年2月、家持36歳の時の歌です。家持には春を告げる声も寂しく聞こえたのです。
『古今集』にも鴬の声を詠んだ大江千里(おおえのちさと)の次の歌があります。こちらは別に悲しい歌ではなく、春告鳥の声を素直に喜んでいます。

鴬の 谷よりいづる 声なくば 春来ることを たれか知らまし(大江千里、『古今和歌集』春歌上、巻1-14)
(鴬が谷から出てきて鳴く声がもしないのならば、春の来ることを誰が知るだろうか。誰も知らないだろう)

前回のこのコラムでも取り上げましたが、先ほどの家持の歌が詠まれた1年前、聖武天皇の念願であった大仏開眼法要がありました。しかし、宮中では藤原氏が台頭しつつあった一方で、名門貴族だった大伴氏には、衰えの色が次第に濃くなっていたのです。大仏に帰依したかったのは、大伴家の一員である家持だったのかもしれませんね。彼は鴬の声を、こう聞いたのかもしれません。
「ほ~『法華経』」


・夏のほととぎす

夏の鳥として二つ取り上げますが、まずはほととぎすです。ほととぎすを漢字で書こうとすると、「不如帰」「時鳥」「杜鵑」「沓手鳥」「霍公鳥」「蜀魂」など、多くの表記法があります。「杜鵑」の「鵑」という字は、右側の「鳥」を取り去った部分(「口」の下に「月」)が「ケン」という音を表しているとのことで、「涓(けん)」「絹(けん)」でも同様です(『字通』)。また、右側の「鳥」を「隹」とする異体字もあり、その字形での古代文字(秦などで用いられた篆文)を(図2)に示します。


(図2)「鵑」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)


さて、このほととぎすを詠んだ歌としては、前掲の百人一首の歌のほかに、『万葉集』に次の問答歌があります。

卯の花の 咲き散る岳(たけ)ゆ 霍公鳥(ほととぎす) 鳴きてさ渡る 君は聞きつや(『万葉集』巻10-1976)
(卯の花が咲いて散る岳を通って、ほととぎすが鳴きながら渡っていきました。あなたはお聞きになりましたか)

聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて 此ゆ鳴き渡る(『万葉集』巻10-1977)
(「聞いたか」とあなたがお尋ねのほととぎすは、雨にぐっしょり濡れて、ここを鳴きながら渡って行きましたよ)

万葉集には153首もほととぎすが詠まれており、卯の花とペアになって出てくる歌も上掲の歌を含めて18首もあります。
また、明治期に作られた小学唱歌の歌詞にも、ほととぎすと卯の花が一緒にうたわれています。

卯の花の 匂う垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来(き)ぬ(「夏は来ぬ」『新編教育唱歌集 第五集』1896[明治29]年)

この歌詞はそれにしても万葉の歌とよく符合しているなと思って、調べてみて納得しました。作詞者は国文学者、万葉学者の佐々木信綱博士だったのです。
ほととぎすは、このように『万葉集』にも多く読まれ、鳥に冷たい(?)百人一首にも取り上げざるを得ないほどの鳥ですから、やはり夏の季節を代表する鳥と言えるでしょう。
ほととぎすの鳴き声は、「特許許可局」「てっぺんかけたか」などという聞きなしで知られています。信心深い人には、「本尊掛けたか」に聞こえるようですが、鴬のように宗旨までは明らかにしてはくれません。


・夏のつばめ

さて、もう一つの夏の鳥は燕です。
「燕」という字は、『字通』によれば「つばめの飛ぶ形」を表しているそうです。中国古代の殷・周の時代に用いられた甲骨文の字形を(図3)に、秦などの時代に用いられた篆文の字形を(図4)に示します。


(図3)「燕」の甲骨文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

(図4)「燕」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)

実は『万葉集』につばめの詠まれた歌はわずか1首しかないのです。それは次の歌です。

燕来る 時になりぬと 雁がねは 国偲(しの)ひつつ 雲隠り鳴く(『万葉集』巻19-4144)
(つばめが来る季節になったなあと、雁は自分の故郷をしのびつつ、雲の上で鳴いているよ)

でもよく見て下さい。燕が詠まれていますが、歌の主役は燕ではなく、雁なのです。もう雁は帰り支度をしようと国が恋しくなっている、そんな初春の歌なのです。
ただ、燕には、斎藤茂吉の次の有名な歌があります。

のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ 屋梁(はり)にゐて たらちねの母は 死にたまふなり(斎藤茂吉、『赤光(しゃっこう)』)
(のどの赤い燕が梁にとまっているよ 死んだ母を見守るように)

鳥は魂をあの世まで導く役目を担っているとも言われています。茂吉はそのことを意識していたのかもしれません。
でも、燕は歌の世界では、ほととぎすに到底かないません。他人に子育てを任せてしまう(托卵)というほととぎすの無責任さとは対照的に、民家の軒下で夫婦協力して子育てをする律儀な燕に、万葉人はもう少しやさしい目を向けてもらいたかったと思うのです。
もっとも西洋の物語の世界では、燕は幸福な王子の手伝いをしたり、親指姫を背中に乗せて空を飛ぶなど結構活躍はしているのです。また日本でも、中島みゆきさんの歌声とともに、人知れず奮闘する「地上の星」たちを高い空から見つけ出す役割を担ったりしてきました。


・秋のかり

秋の鳥といえば、雁(かり)でしょう。
『字通』によると、「雁」の字の「厂」の部分が「カン」という音を表していて、「人にあう時の礼物として雁を贄(おくりもの)とする」という古代の習俗を表しているのではないか、とのことです。「雁」の古代文字として、秦などの時代に用いられた篆文を(図5)に示します。


(図5)「雁」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)


ちなみに、「雁書」という熟語は「手紙」という意味で現代の日本語でも用いられますが、これは歴史書の『漢書』の中の「蘇武伝」という伝記にちなんだ故事成語です。蘇武は、漢から北方民族の匈奴(きょうど)に使者として赴きましたが、匈奴の単于(=王。「ぜんう」と読む)は蘇武が有能な人物であると見込んで捕え、自分の部下にしてしまいます。単于の命令で辺境に向かった蘇武は、自分が生存していることを手紙をしたため(ただし紙ではなく布に書いたのですが)、雁の足にくくりつけて故国に届けさせたのです。このことから、手紙のことを「雁書」「雁信」「雁の使い」というようになりました。
実際、雁と郵便は縁があります。大きな月を背景に、3羽の雁が地上へ降り下ろうとする構図の、歌川広重の浮世絵「月に雁」は、切手趣味週間の記念切手に2度も採用されているのです。
漢字教育士は、この「雁書」の故事にならって、秋にも季節の挨拶の手紙を出す習慣を日本郵便が広めたらと思っています。愛称も考えました。暑中見舞いが「かもめ~る」なので、秋の挨拶を「かりメ~ル」と呼んではどうでしょうか。


・冬のつる

冬の鳥は「鶴」で決まりです。今回取り上げた鳥の中で唯一、常用漢字表に含まれている字です。
白川静先生の漢和辞典『常用字解』では、「鶴」の「?」という部分が「カク」という音を表していて、「カク」という鳴き声によって「鶴」と名づけられたのだろう、と説明されています。
「鶴」の古代文字として、秦などの時代に用いられた篆文を(図6)に示します。


(図6)「鶴」の篆文(漢字古今字資料庫の画像よりトレース)


中国の長江流域にある武漢には、黄色の鶴を名とする「黄鶴楼」という楼閣がありました(現存の建物は1980年代に再建されたものです)。
黄鶴楼には、次のような有名な伝説があります。

酒代を払えなかった一人の酔客が、酒代がわりにと酒屋の壁に黄色い鶴を描いて去りました。その鶴は酔客の手拍子に合わせて舞い踊ったので、これが評判を呼び、酒屋は大繁盛したのです。その後、鶴を描いた客が仙人として再び現れ、笛を吹いて壁から鶴を招きだすと、その鶴に乗って飛び去って行ったそうです。酒屋の主人はこのことを記念して楼閣を建て、「黄鶴楼」と名付けたのでした。

この伝説を踏まえて、盛唐の詩人・崔顥(さいこう)が詠んだ七言律詩を紹介します。

   黄鶴楼       崔顥
昔人已乗黄鶴去   昔人 已に黄鶴に乗りて去り
此地空余黄鶴楼   此の地 空しく余す 黄鶴楼
黄鶴一去不復返   黄鶴一たび去って復た返らず
白雲千載空悠悠   白雲 千載 空しく悠々
晴川歴歴漢陽樹   晴川歴歴たり 漢陽の樹
芳草萋萋鸚鵡洲   芳草萋萋(せいせい)たり 鸚鵡洲(あうむしう)
日暮郷関何処是   日暮 郷関 何れの処か是れなる
煙波江上使人愁   煙波 江上 人をして愁えしむ

(昔の伝説の酔客は鶴に乗って去り
 この地にはただ黄鶴楼だけが残っている
 仙人が乗った鶴は飛び去って二度と戻っては来ず
 ただ白い雲だけがいつまでも悠々とただよっている
 晴れた長江の向こうに漢陽の木々がはっきりと見え
 かぐわしい草が青々と鸚鵡洲(おうむしゅう)の砂州に茂っている
 日暮れ時、我が故郷の村の門はどの方角にあるのだろう
 夕もやと波があたりをおおう川のほとり、私の心は悲しみに誘われる)

もっとも、日本人である漢字教育士は、飲み屋の壁に描く鶴の絵ならば、黄鶴ではなく「白鶴(はくつる)」がふさわしいと思うのです。
古代の日本では鶴はどこでも見られた鳥で、万葉集にも「たづ」として多くの歌に詠われています。その中で一番有名な歌は次の山部赤人の歌でしょう。

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(山部赤人、『万葉集』巻6-919)
(若の浦に潮が満ちてきて潟がなくなったので、葦辺を目指して鶴の群れが鳴きながら飛んで行くよ)

現在の和歌山市にある、歌枕として有名な和歌浦で詠まれた歌です。歴史書(『続日本紀』)によると、この地は古くは「弱浜(わかのはま)」という地名だったようです。それが「若の浦」となり、現在では「和歌浦」と表記されています。それにちなんで「和歌山」という地名がつくられ、今では県の名前までも「和歌山県」となっています。「和歌」の力がいかに偉大かを思い知り「つる」。


まとめ

さて、四季折々の鳥たちの物語をしてきましたが、漢字教育士は鳥を見習わないといけないと思っていることがあります。それは、鳥の眼を持って広く物事を眺めるということです。
小学生の放課後教室や教壇で「漢字の話をするよ」というと、みんな一様に「勘弁してくれよ~」という顔をします。漢字教育士は、そんな子どもたちに漢字、日本語の面白さ、楽しさを教えようとしていますが、それだけでは十分でないとも感じているのです。そこでは自らの経験、見識も交え、広い視野をもって漢字、日本語の周辺に広がる歴史、文化、技術、数学、芸術などの大きな世界を示してやりたいと思っているのです。
それって空を飛んでいる鳥の眼で世の中を見る、つまり「鳥瞰する」ということです。漢字教育士になるためには養成講座を受講するのですが、講座で習った知識をそのまましゃべるだけならば「鸚鵡(おうむ)返し」ではないか、と、この漢字教育士は思うのです。


追伸(鳥たちの近況)

(図7)「鳥たちの鳩首会談」(著者画)


そんな鳥たちは、今どうしているのでしょう。5羽の鳥たちが集まって「鳩首会談」しているところをのぞいてみました。

(漢字教育士)「鴬さん。あなたはいい声だから、選挙の時なんか引く手あまたなんじゃないの?」
    (鴬)「よしてくださいよ。ホーホケキョと鳴くのはオスなのに、『ウグイス嬢に』ってお声が掛かるのは、
        若い娘さんばっかりです。男はお呼びじゃありません。それに、選挙カーの運転手だって、
        やってるのはカラスなんですから」
(ほととぎす)「あっしも鳴き声では苦労させられてます。『鳴かんのならば殺してしまうぞ』って脅されたり、『鳴かせてみせる』と
        すごまれたりすることもあるんですから。まあ、『鳴くまで待とう』ってありがたい御仁もたまには
        いらっしゃいますがね」
(漢字教育士)「ふーん、大変なんですね。そういえば燕さん。あんた、スラリとしてかっこいいからもてるんじゃない?」
    (燕)「とんでもない。もてるのは『若いツバメ』だけですよ。あっしら中年は、『地上の星』を探して偵察飛行する
        ぐらいですよ。もっとも最近では、スコッチ遠出して麦畑の様子を見に行ったりもしますがね」
(漢字教育士)「なるほどねえ。ところで雁さんは、いつも郵便配達大変だね」
    (雁)「実は私、切手モデルが本業でして、郵便配達は『仮』の姿。とくに速達なんぞはレースでも活躍されている
        『鳩』さんにお願いしたいとこなんですがね」
(漢字教育士)「うーん、確かに今じゃあ『伝書鳩』とは言うけれど、『伝書雁』とは言わないからね」
    (鶴)「お~い。いつまで皆で『つる』んでいやがるんだ。そろそろ終わりにしようぜ」
(漢字教育士)「はい、『鶴の一声』がありましたのでここらでお開きに。立つ鳥跡を濁さず。皆様、どうぞ気を付けて
        お引き取りを……」


〔参考文献〕
吉原幸子『百人一首』(平凡社)
白川静『字通』(平凡社)
白川静『常用字解』(平凡社)
中西進(校注)『万葉集(1)~(4)』(講談社文庫)
久曾神昇(訳注)『古今和歌集(1)~(4)』(講談社学術文庫)
金田一晴彦・安西愛子(編)『日本の唱歌(上)(中)(下)』(講談社文庫)
斉藤茂吉『斎藤茂吉集(現代日本文学大系38)』(筑摩書房)
アンデルセン『おやゆびひめ』(童話堂出版)
オスカー・ワイルド『幸福な王子 ワイルド童話全集』(新潮社)


筆者紹介

丹羽 孝(にわ・たかし)さん

1950年大阪府生まれ。電器メーカーに技術者として37年間勤務後、定年退職。学生時代から『万葉集』を通じて古典に憧れ、「漢字・日本語」についての理解を深めたいとの思いから漢字教育士を志す。2013年、2014年と奈良県生駒郡斑鳩町の小学校で放課後教室にて漢字授業実施(町内の全小学校で実施済み)。また子ども夏祭りでの「漢字縁日」を企画・実施。2014年からは公民館で、大人向けに『万葉集』を楽しく分かりやすくとの趣旨から「気楽に万葉集」講座も始めた。
2014年10月の放課後教室を受講した5年生の児童から「クラスのみんなにも漢字の話を聞かせてほしい」というオファーを受けて、11月教室で実施した「漢字の授業」が大好評。「(45分で)漢字が好きになった。」という子どもたちが続出。漢字教育士1期生。


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