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【新井由有子さん】甲骨金石 百字夜行(4)

先月来、鬼を引きずって暮らしております。
さてさて、古代日本に伝わり「おに」となったこの字の履歴を探るために、当時の状況について少し見て参りましょう。


古代日本の漢字受容

中国においては「鬼は帰なり」、すなわちこの世に戻って来た死者のことであって、鬼を構成要素として持つ漢字たちも死とその穢れを忌み恐れる心が反映されたものでした。
日本への漢字伝来は5~6世紀頃から。それまでの日本には言葉はあれど文字は無く、初めて漢字というツールを手にした人々は自分たちの言葉を筆記するために、初めは漢字の音だけを拝借しました。それがいわゆる万葉仮名。
万葉集の巻頭を飾る雄略天皇の歌は……

篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根
こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのらさね



一部の動詞や「此岳(このをか)」などを除けば、ほとんど一字一音の表音文字として漢字を使っています。この使い方はご覧の通りなんとも効率悪く、やがて各字に対応した倭(やまと)言葉を当ててゆく「訓読み」が整えられてゆきました。万葉集の歌の多くには、漢字の音だけを採った音読みと倭言葉の訓読みとが交じります。

茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる


これは万葉集第一巻二十の額田王の歌。音と訓、それに漢文的表記も交じります。


霊界・幽冥界に属する、「鬼」かもしれない言葉たち

かくて「鬼」もおそらくは遣唐使船に乗って日本へ渡来し上陸を果たし、サテ我が纏(まと)うべきやまとことばは何であろうかと見渡した時、そこには「鬼」がカバーするかもしれない概念の候補が複数在ったのです。
それではその候補の言葉とは?

「かみ」「おに」「たま」「もの」というのが折口信夫の掲げる「日本の古代の信仰の方面」の「代表的なもの」ですが、大和岩雄氏によると「おに」が入るのは平安時代以降で、それ以前は「かみ」「たま」「もの」の3つであったそうです。

往時の状況……たぶんこんな感じ?




「もの」と「かみ」と「鬼」

『日本書紀』(720年成立)には何度か「鬼」字が登場します。印象的なのは「神代記下」天孫降臨に先立つ場面。

然も彼の地に、多に螢火の光く神、及び蠅聲す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り。故、高皇産靈尊、八十諸神を召し集へて、問ひて曰はく、「吾、葦原中國の邪しき鬼を撥ひ平けしめむと欲ふ。當に誰を遣さば宜けむ。」と。

【読み】
しかもそのくにに、さはにほたるびのかかやくかみ、およびさばへなすあしきかみあり。またくさきことごとくよくものいふことあり。ゆえにたかみむすひのみこと、やそもろかみたちをめしつどへて、とひてのたまはく、「われ、あしはらのなかつくにのあしきものをはらひむけしめむとおもふ。まさにたれをつかはさばよけむ。」と。

【通釈】
高天原(たかまがはら)の天つ神である高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が皇孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に治めさせようと考えている葦原中国(あしはらのなかつくに=地上)にはしかし、蛍火のように輝く神々や、大した力は無いが騒がしくて従わない邪神が多く居り、また草木の全てが精霊を持っていて、それぞれに言葉を話し人々を脅かしていました。 そこで高皇産霊尊があまたの神々を招集して問われるには、「私は葦原中国の邪神を追い払って、平定したいと思っている。誰を遣わせば良いか」と。


ここに登場する「鬼」字は「もの」と読まれます。
天つ神が降臨しようと思っている地には先住の国つ神たちが大勢居り、(名のある大神もいれば)よくわからないヤツもうじゃうじゃ居たと。今であれば精霊なり妖怪なりの名で呼ばれるのでしょうか。
これらの、天つ神に従わない邪魔な連中が「もの」です。「葦原の邪(あ)しき鬼(もの)」はまた「多(さは)に螢火(ほたるび)の光(かかや)く神」であり、「蠅聲(さばへな)す邪(あ)しき神」であるのです。
高位の天つ神も「かみ」、地上の小さな騒がしい邪神(もの)たちもまた「かみ」。「かみ」でありまた「もの」でもある後者に、「鬼」の字が当てられています。

これに対し「たま」は特に善も悪もなく、ただ浮遊している丸く光るものであるそうです。より原初的な、生命や意志体の源となるものでしょうか。魂・靈(霊)・玉・球・珠みんな「たま」。浮遊する蛍の灯を体から「あくがれいづる魂か」と詠んだのは平安の人でしたが(※)、蛍の光は人に昼間には見えぬ妖しい何かの存在を感じさせるものだったのでしょう。
「かみ」「もの」「たま」は互いに重なり合ったり包接したりしながら、恐れかしこむべき霊の世界の見えざる何者かたちを呼びあらわす名なのです。

(※Z会編集者注)
物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる(『後拾遺和歌集』、和泉式部)


なんだか凄い「しこ」

『万葉集』においても「鬼」の読みで最も多いのは「もの」、次いで「しこ」。巻の2、舎人親王の歌に鬼が登場します。

大夫哉 片恋将為跡 嘆友 鬼乃益卜雄 尚恋二家里
ますらをや かたこひせむと なげけども しこのますらを なほこひにけり


「鬼(しこ)のますらを」とは頑強なる大の男、といった意味のようです。
この「しこ」はまた「醜」とも表されます。「しこ」の意味をたどって行きますと、前回お話しした中国の「醜」字の字義を反映してか、「みにくい」というよりも死の臭いの強くする漢字です。
泉津平坂(よもつひらさか。日本神話で「この世=葦原中国」と「あの世=黄泉(よみ)」の間にある坂)にイザナギを追った「泉津醜女(よもつしこめ)」とは、黄泉の国の容貌の醜怪な女という意味ではなく、死の国の穢(けが)れをまとった女ということです。因幡の白兎で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと。国つ神のボス)も黄泉の国に降り立った間だけ名が変わり、その名も「葦原醜男(あしはらのしこお)」となります。
現代の感覚ではまったく不思議なのですが、どうも死の穢れと頑強さとの間には何らかの連想によるつながりがあったようなのです。
死の穢れ→甚だしく恐るべきもの→なんだか非常に強い力、というような経路を経ての「しこのますらを」なのでしょうか? 相撲の「四股名」(しこな)も古くは「醜名(しこな)」でありました。


「おに」の登場

平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』によると鬼の和名は「於爾(おに)」で「隠(おん)」の訛ったものであり、「鬼は物隠れて形を顕(あらは)すことを欲せざるがゆゑに、俗呼びて隠と曰ふなり」(鬼神部第五・鬼魅類第十七)とあります。

「おに」の読みは「隠」又は「陰」の「おん」の音から来ており、「隠れて姿を見せないもの」であり、また生者の「陽」に対する「陰」であるのだそうです。
暗くまがまがしく不安を掻き立てて嫌な感じがするけれどしかとは見えないもの、そういうものに対して「鬼」の字が当てられ「もの」とも「おに」とも読まれました。「もの」に「怪(け)」をつけて「もののけ」とすれば、「おに」との近縁性が腑に落ちます。

鬼に対するの2つの訓読みはかなり長い間、平安時代末まで続いていたそうです。
その時間の中で次第に「おに」は、漠然とした「もの」の中から分化して姿を現してきます。そこには社会やら宗教やらの反映があった訳ですが、見えない「隠」ながら実体のある(見える)強烈なキャラクターとなった「おに」が、そのキャラクター性ゆえに「鬼」=「おに」として市民権を得て行ったのです。
一方、今やあらゆる物事現象に使用可能な汎用性の高い言葉として残った「もの」(物・者)は、得体の知れない万象であった「鬼」から「おに」が抜け出して残った抜け殻の無個性なのかもしれません。

「鬼・おに」は、その後も仏教やら陰陽道やら山人やら社会の影の部分に生きた人々やらの影響を受け、その色彩を取り込みながら更なる長い時間をかけて成長して行きます。(このあたり、鬼学の金字塔馬場あき子氏の『鬼の研究』がございます。)
黄泉醜女も業平の姫を喰った(※)のも地獄の牛頭馬頭も般若もなまはげもみんな鬼。日本在住の鬼は多種多様で、同じカテゴリーに分類するのがためらわれるほどです。

私たちが鬼と聞いてパッと思い浮かべる、赤や青の肌をした虎柄パンツに金棒の豆でたやすく追い払われてしまう愛嬌者の鬼は、多彩なる「鬼」イメージのいわば「なれの果て」なのです。

(※Z会編集者注)
「業平の姫を喰った」……『伊勢物語』第6段に見える。男(在原業平)が身分の高い女性を芥川という川の近くに連れて逃げたところ、雷雨に遭ったために蔵の中に女性を押し入れておいたが、女性は鬼に食われてしまった、という内容。


ご挨拶

この度軽い気持ちで「鬼」に手を付けて、たった一文字の漢字の内にある歴史と因縁の深い淵に危うく溺れるところでした。
このコラムを書かせて頂くようになってから毎度そんな感じで、書く(描く)ために資料を漁っては「へー!」とか「ほー!」とか自分が一番驚きながら筆を進めておりました。拙い画文にお付き合いくださってありがとうございました。
また口に出すのも憚られる不良執筆者で、ご担当くださったZ会の大橋様・田中様には一方ならぬご迷惑をお掛けしました。このような機会を与えて頂いたことに感謝しきりです。
それでは、御縁がありましたらまたいつか。


〔参考文献〕

馬場あき子「鬼の研究」(『民衆史の遺産 第2巻 鬼』[大和書房]所収)
大和岩雄「鬼と天皇」(『民衆史の遺産 第2巻 鬼』[大和書房]所収)
折口信夫「鬼の話」(『民衆史の遺産 第2巻 鬼』[大和書房]所収)
白川静『常用字解』(平凡社)
『万葉集』(日本古典文学大系、岩波書店)
『日本書紀 上』(日本古典文学大系、岩波書店)


筆者紹介

新井 由有子(あらい・ゆうこ)さん

漢字教育士講座1期生。
2012年、受講中の漢字教育士講座レジュメ上で、甲骨・金文の「見」(図左)と目が合い一目惚れ。すっかり中国古代文字に魅入られて、字書游泳が趣味となる。
この度コラムの場を頂けてしめしめ、滾(たぎ)る文字妄想を書き連ねる所存です。
東京都在住、デラシネのOL。徳島県出身。


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